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	<title>ノベル/nobel - LE MIROIR DE LA FICTION</title>
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	<description>Galerie de Shoji Tanaka</description>
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		<title>☆『革鞣し処方』-ホルスト・ヤンセン展に</title>

		<description>『革鞣し処方』-ホルスト・ヤンセン展に
…</description>
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			<![CDATA[ <span style="font-size:x-large;"><span style="font-size:large;"><span style="font-size:x-large;"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:large;"><span style="font-size:large;"><span style="font-size:medium;">『革鞣し処方』-ホルスト・ヤンセン展に
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　田中章滋

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　★

　曾て青木画廊で日本初の「ホルスト・ヤンセン展」が催された際、種村季弘氏は案内状に『文明の革剥ぎ職人』なる逸文を寄せられた。画家にも拘らず、何故ヤンセンを「革剥ぎ職人」と呼んだか、これは少しく解説が必要である。文化は時間が経つとおさらいが必要になる。
 先だって挿絵画家のレオ澤鬼氏と親しく語る機会があり、氏のペンによる点描細密画の起源に、エルンスト・フックスの影響があると聞かされ、その女体賛美の装飾過剰に何故か律義者の愛の形のようなことを思ったものだった。一口に偏執は膨大な職人的刻苦に彩られている。本好き文学好きが相対する席であった為、話は勢い版権や出版メディアのこととなったが、氏はかかる分野の請負い仕事を、どこかしらタトゥ（刺青）職人めいた、ヤクザな稼業のように感じておられるようだった。確かにエログロ通俗はサブカルチャーに過ぎようか。
 　だが一愛書家である私には、氏の仕事はアルフレート・クビーンやファビウス・フォン・グーゲル、果てはビアズレーに至る書物を廻る画家と間断しないのである。 否、挿絵やポスター描きが画家として特殊なら、ロートレックは居るまい。まして彼等の背後には通俗の極みとも言える浮世絵の影響が控えているのだから、何をもってファインアートとなすべきか。今や漫画の原稿を通り越し、アニメのセル画に高値がつくご時世である。 

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　★

　徒事（あだしごと）はさておきつ、港町ハンブルグの無頼画家ホルスト・ヤンセンに就いて。 
　何ゆえ無頼漢なのかと言うと、不良と酒乱が一生治らなかったからだ。投獄されるわナイフ振り回すわでは仕方ない。 そんなヤンセンでも、ハンブルグ造形美術大学のパウル・ヴンダーリッヒに師事し、真面目に版画の職人技を極める。ヴンダーリッヒが不良とは絶えて聞かない。そのまた弟子のヨルク・シュマイサーが謹厳実直なる紳士であるので、無頼の気風がハンブルグ造形美術大学にあったとは言い難い。ことはヤンセンのみに関わる。 
　そのヤンセンが風来の気質に共鳴してか葛飾北斎にいたく傾倒し、『北斎との散歩』で自らを画狂人に準えたのは宣（むべ）なるかな。正に絵画の基礎の基礎、日に何百枚もデッサンするという素描家の鑑とも言うべきヤンセンの仕事は、自画像や家族の肖像は言うに及ばず、ポルノグラフィの写し（実際、谷崎潤一郎めいたポルノ小説『リッツェ』まで著している）、机上の取るに足らぬ塵とまごうものまで枚挙に暇ない。表層的に目に映じるものの全てを紙に写しとっているかの如きである。
　 が、それはもちろん写生であり、ヤンセン一流のフモール（諧謔）と犬儒趣味によって、手技も見事に事物の皮革を剥ぎ取り、裏返されているかに見える。
 それらヤンセンの「完璧なる素描」の一枚一枚が、さながらミケランジェロが『最後の審判』に描く、革剥ぎの刑に処された聖バルトロマイに擬した自画像に通じる、と喝破したのが先の『文明の革剥ぎ職人』なる譬えであろう。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　★

　ヤンセンが生涯に残した個人画集の類は Verlag.St.Gerturde社を筆頭に130有余冊。挿絵は無数。版画家でもあるが、矢張り本の体裁にこだわった点で出版の人である。古来西洋では書物は紙ではなくベラム（羊皮紙）であった。手彩色細密画をそこに施していた油絵の始祖ファン・アイク兄弟は、元々挿絵画家。そこに印刷機発明以後のショーンガウアーやデューラーといった版画家を加えれば、何だ始めは皆挿絵画家だったのか、となる。
 　世界は一冊の書物である（マラルメ）の言を俟（ま）たずとも本のページは文明の皮だろう。蛇足だが、天文学者フラマリオンの『天界』初版は、彼の恋人某伯爵令嬢の人間皮で装幀されている。凄まじい愛もあったものだ。
 「僕は自分の愛するものしか描けない。」というヤンセンは愛ゆえに世界の皮を剥ぎ鞣し続けたということか。「ナイフはその愛の武器だ」と言ったら、私も不良の仲間入りである。</span></span>
</span></span></span></span></span>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://wox.cc/user/atelierzephyros/o/mille1.jpg" alt="ヤンセン" class="pict" /> ]]>
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		<dc:date>2022-11-07T10:23:22+09:00</dc:date>
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		<title>☆「エロス」について</title>

		<description>＜過ぎ去って見ればみな美しい季節であっ…</description>
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			<![CDATA[ <span style="font-size:large;">＜過ぎ去って見ればみな美しい季節であった＞

　　「エロス」について想うところあり、少しく書いていきたい。因みにエロスを「黒い神」だと言った André Pieyre de Mandiargues(アンドレ・ピエイル・ド・マンディアルグ）は、Dieu noir（黒い神）をプシケーと暗闇でのみ交わる闇の王子であることを念頭に置いて語っていたと思う（即ち夜這い）。

　これは私のみの受け止め方に過ぎぬが、殊更エロスに「暗黒=悪」や「死」の衝動を付け加えようとはしないのが、古代オリエント的な祭儀をロマネスクに好んだマンディアルグらしいと私は想像するのだ。古代オリエント的とは、陽物崇拝と大地母神信仰のアマルガム（混淆）としてのそれである。

　「性」を闘牛に喩えるマンディアルグに「死」の魅惑が皆無だと言えば、これは明らかに誤読だろう。しかしそれを「エロス＝死」という短絡で扱うとしたら、何とも露骨で無粋極まりない。性にまつわる想像力の美的戦慄の領域を、味わうどころでは無くなってしまう、そう感じるのだ。一方、リアルな性行為は極めて滑稽なものでもある。またフロイト解釈を措いて、神統記では鉄の心臓、青銅の心のタナトス（「死」）の同胞は「エロスとタナトス」ではなく、「ヒュプノス（夢）とタナトス（死）」なのである。
　
　少し前のグループ展中日（なかび）の事。7人展（幻獣展2008）に偶々居合わせた画家三人が、各々の来客の接待などするうち何時の間にか酒宴となってしまった。一名は客と共に余所に流れたが、コレクターの小泉氏、画家の小山哲生氏と私と男ばかり居残ってしまい、間が持たぬ。では近場で一献傾けましょうかということになり、銀座の路地に入り込み、酒宴の続きと相成った。

　そこは小山氏の馴染みの店とて、何故か他の酔客が一人も居ない。即ち貸し切り状態。そうなると男共がするのは決まって大真面目な議論だったりするのが常。私は先輩諸兄より十二三ばかり年少だが、団塊世代とそこに続く谷間の世代は、時代も反時代も引っ括めてナンセンス（懐かしい語）なディベートが大好きなのである。

　議題は誰言うともなく「エロス」。「通俗エロス、ポルノグラフィ、高級なエロスと弁別したところで一体何の間断があろう、全部一緒じゃないか」というのが私の意見で、「昨今SMだとかフェティッシュだとか、単なる個人の趣味の領域。そしておぞましいのは性の探求者を標榜する趣味人の会。大概そういうのは商売絡みで、芸術行為と何の関わりもない悪い意味でのお遊戯だ」と断じると、小山氏一流の美学で、「孤独な魂が籠っていないものはみなアートじゃない！」と宣う。

　議論は本来対立軸が出て侃々諤々となるが、彼と幾ら語っても、表現の角度は異なれほとんど対立点がない。スキャンダルに塗れた氏の往年のパフォーマンスよりも、その隠れたる耽美、卓抜な絵画技量を、深く敬愛している私は、何とか刺激して本音の一つも引出してやろうと盛んに食い下がった。因みにビタミンアートで知られる小山氏のパフォーマンスの過激さは、 『泡沫桀人列伝―知られざる超前衛』（秋山 祐徳太子著2002年二玄社刊）に詳しい。就中、泡沫概念の先駆は「小ロマン派」（否、小々ロマン派か？）であると言添えて置く。

　しかし、小山氏の意見は真剣なのか、不真面目なのか、時にさっぱり訳が分からないことがあり、それでも全く淀みなく、理路整然と進展していくところが痛快で、まるで詩人か哲人を思わせる警句が次々飛び出して、人を魅するのだ。

　だが、御用心、御用心、この方何時の間にやらいい話が台無しに。「エロスは男だって、女だって等しく愛する者だ」と小山説。

　「具体的にはどういうことですか？」と私。この間、小山氏、女性器、男性器の名称連呼。「誰とでも交雑するんだよ、えへへ」。えっ？高尚な振りして結局エロエロですか？女の子が居たら絶対口説くんですね。ただモテたいだけなんですねと暴いていくと、「それが人間の本性だから...」。「あれ？エロスって一応神様じゃなかったっけ？小山さん！エロスは私だ、になっちゃってます！」。

　嗚呼、所詮、同じ穴の狢ですけども。</span>

　　　　　<img src="https://wox.cc/user/atelierzephyros/o/20221103-131634.jpg" alt="エロス" class="pict" /> ]]>
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		<dc:date>2022-11-03T13:13:38+09:00</dc:date>
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		<title>☆「珈琲店　醉月」考</title>

		<description>　「珈琲店　醉月」考


「珈琲店　酔…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　「珈琲店　醉月」考


「珈琲店　酔月」
　　　　　
　　　　　　　　　　（萩原朔太郎『氷島』より)

坂を登らんとして渇きに耐へず
蹌踉として醉月の扉（どあ）を開けば
狼籍たる店の中より
破れしレコードは鳴り響き
場末の煤ぼけたる電氣の影に
貧しき酒瓶の列を立てたり。
ああ　この暗愁も久しいかな！
我れまさに年老いて家郷なく
妻子離散して孤獨なり
いかんぞまた漂泊の悔を知らむ。
女等群がりて卓を圍み
我れの醉態を見て憫みしが
たちまち罵りて財布を奪ひ
殘りなく錢（ぜに）を數へて盜み去れり

Le café du Mois d’ivresse　par Sakutaro Hagiwara（“L'Ile de glace”）

Alors que je monte la pente, je ne peux plus résister à la soif
Titubant, j’ouvre la porte du Mois d’ivresse
De ce café où règne le désordre
Résonne la musique d’un disque rayé
À l’ombre des lumières charbonneuses
J'aligne des bouteilles d’alcool bon marché.
Ah ! Il y avait longtemps que je n’avais eu cette mélancolie !
Je suis vieux et sans village natal
Séparé de ma femme et de mes enfants, je suis solitaire
Que je les connais bien, les regrets de l’errance.
Un groupe de femmes encerclent ma table
Me voyant saoul, elles me prennent en pitié mais
Me maudissant tout à coup, elles dérobent mon portefeuille
Ayant compté la monnaie, elles ont filé sans rien laisser.

　　　　　　　
　この詩の＜カフェーの女給＞が何を意味するか、世代や性別、酒癖の如何、属する階層、国によっても随分まちまちだろう。殊に飲酒、まして色香を売る事がタブーであるイスラム社会なら、丸ごと悪所や悪事が折り重なって、石打ちの刑すら免れまい。そんなことを言ったら切りがないので、少なくとも原詩とこれを訳した言語圏（ここでは日仏）の文化の位相のみ取り上げる。
「珈琲店　醉月」は今で言えばスナックかバーか、クラブなのだろうが、他にパブ、昼サロ、キャバクラ、手を代え品を代えというより、名のみ潤色して安易な色気と酒をひさぐ風俗営業の一種であって、この詩の内容から鑑みて、今で言えば、俗に＜ボッタクリバー＞的な性格の店であろう。この＜ボッタクリバー＞を、この業に就かぬ婦女子、或いは酒を家以外では嗜まぬ一般人に理解してもらうのは困難だろう。猥所には違いないが、酔漢を色香で客引きをし、店に連れ込むや、僅かな酒で法外な請求を行い、それを支払わぬ者から暴力的に金品を巻き上げる不法営業飲食店、即ち『注文の多い料理店』を地でいく、追い剥ぎ飲食店である。大概既に酔い潰れ寸前の酔客や地方出身者、飲酒経験の浅い若者が被害者。今も繁華街の闇に紛れて、恐いお兄さんが裏から出て来る店は、時代を問わず後を絶たない。

　よって「珈琲店　醉月」は、概ね日本に固有の接待文化である「芸者」か、朝鮮半島の妓生（キーセン）、中国の妓女伝統の風俗化と解せるが、そんな店がフランスにある筈もなく、そもそも女性が酌をする店自体ないのだから、この辺の機微を訳すことなど適うまい。まして、フランスのキャフェ（文字通り喫茶店）に居るのはギャルソン（男性給仕）であり、朝からでさえ客の注文次第、ビールや酒を当然の如く出すので、文化の位相を知らねば誤解ばかりが広がっていく、という次第。

　私の意見は、ただそれだけの勿体ぶった解題である。因に私もその道に全く暗いのであるが、経験が無くも、何やら酒ほがい自体が目的ではなく、生活に破綻した男が、人恋しいばかりに入った女気のある店で、散々な目に遭ってしまう悲哀のみは理解できるのである。
　敢えてこの詩を西欧的に受け止めるならオルフェウス神話しかないのであるが、酒神ディオニュソスの怒りを買って狂乱女マイナス達に八つ裂きにされる主人公、即ち朔太郎が太陽信仰の人とはとても思えぬところが、珠に瑕。そして彼を弔い癒してくれるレスボスの女も居ないのである。</span>

　　　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://wox.cc/user/atelierzephyros/o/f0163691_2233284.jpg" alt="オルフェ" class="pict" /> ]]>
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		<dc:date>2022-10-27T14:28:50+09:00</dc:date>
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		<title>☆幻想レアリスムシューレ</title>

		<description>【幻想レアリスムシューレ】 / 田中章滋
…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ <span style="font-size:x-large;">【幻想レアリスムシューレ】 / 田中章滋</span>

<span style="font-size:large;">「内外幻想レアリスム」、この謳い文句は、1970年代に美術雑誌（「みずゑ」他）などに青木画廊が掲載した広告文の一節である。この幻想レアリスムなる呼び名は、まさに青木画廊の真骨頂をなしていた。一見反語ともとれるその形容は、今では魔術的レアリスムと総称されるが、目眩く異才を紹介し続けた この画廊の存在こそが、正に魔術的ですらあった。そしてここは同時に見えない学校でもあったのである。何やら、ハリー・ポッターめくが、青木画廊は瀧口修造や澁澤龍彦等文学エコールとの交流で名高いばかりでなく、アーティスト達のエコールでもあったのである。新人アーティストの登龍門青木画廊は、一方 で『エコール・ド・シモン』（人形学校）や『ヴイーナマルシューレ』（絵画学校）の成立にも深く関わった。

　今期、絵画学校に就いてそうした経緯を、日本におけるウイーン幻想派の影響の一端として少しく纏めてみたい。

 「幻想レアリスム」はウイーン幻想派に由来している。青木画廊がエルンスト・フックスをパリの画廊で発見し日本の先駆けて紹介した功績は、既に36年（青木画廊創立時から起算）を閲し歴史化してい よう。ウイーン幻想派は今日では、中学の美術の教科書にすら載っている。
　さて、1970年代の美術界はコンセプチャルアートが席巻し、日本では具象絵画は流行遅れと見なされていた。そこへのウイーン幻想派の華々しい登場は衝撃的事件だった。特にルドルフ・ハウズナー、エルンスト・フックスの細密画は、西洋絵画技法の懐の深さを垣間見せたのである。一見ルネサンス絵画に見えるその絵肌は、日本の印象派に偏した油彩技法からはどう描いたものか想像もつかない。どうすればこんなに細密に描けるのだろう？ここから当時の若い絵描きはいうに及ばず、名だたる洋画家に至るまで、かかる技法への関心が、一挙に高まったのだった。それが＜テンペラ油彩混合技法＞だったのである。

　以下は魔術の種明かし。＜テンペラ油彩混合技法＞の伝播を記していくが、敢えてウイーン幻想派の膝下に与するmischtechnik（ミッシュテクニック＝混合技法）のみに限定する。
ウイーン幻想派による＜ミッシュテクニック＞、即ちテンペラ白色浮き出し、及び油彩による彩色グレーズというコンビネーション技法は、そもそもアーノルド・ベックリーン、オットー・ディックス、マックス・デルナー等によって研究、開発された技法だった。それはフランドル古画の技法の復興を目指すものだった。内側から宝石のように輝き出す絵肌への憧れからである。今日では、フランドル技法は全く別の処方であることが明らかにされ、デルナー式ミッシュテクニックは亜フランドル技法と目されるが、ファン・アイク兄弟のような絵肌を合理的に可能とし、今日ではそれは日本にのみ残存する技法にすらなってい た、と言っても過言ではない。

　さて、ウイーン幻想派の沿革を記そう。ウイーン美術大学のアルベルト・パリス・ギュータースロー（エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカの朋友）は、教授として若きフックス、ウォルフガング・フッター、エーリッヒ・ブラウアー、アントン・レームデンなどに盛んに古典に学べと叱咤し、このデルナー式技法を伝授した＿＿＿実際には助手格のハウズナーが指導したと思しい。ここにウイーンアートクラブを経て、超現実主義の影響も受けつつつ、ウイーン幻想派が成立する。そして、この技法の種撒く人として、ハウズナー及びフックスが活躍する。ハウズナーは後にウイーン美術大学やハンブルグ美術大学で、そしてフックスは私的講座であるゾンマー セミナー（夏期講座）でこの技法を講じていく。

　殊にフックスは1958年以来、恋人でもある画商の後援でフックス画廊を営み、周辺の若い画家達に多くの機会を与えた。その門下にはクルト・レグシェク、ペーター・クリーチ、クリストフ・ドーニン、ペーター・プロクシ、ミヒャエル・フックス（恋人との間の子息）など枚挙に暇なく（広義にはフンデルト・ヴァッサー、ミハエル・グーデンホ フ＝カレルギー、ヘルマン・セリエントもウイーン派と呼ばれている）。そうした流派の一技法が、日本からの留学生によって齎されたのである。

　1974～79年頃、春口光義、佐藤一郎、高橋常政はウイーン美術大学でハウズナーに、川口起美雄、マリレ・イヌボウ・小野寺、鈴木和道、牛尾篤などはウイーン応用美術大学でフッターに、坂下広吉はレームデンに師事した。フックスにも学んだ高橋（常）、ミヒャエル・フックス等と交誼を結んだ川口は、直接、間接的にフックスの影響下にあったも言えよう。またイヌボウ・マリレ・小野寺はゾンマーセミナーでフックスの謦咳に触れている。同時期のゾンマーセミナー参加者にアブドゥル・マティ・クラーワイン、HR・ギーガー、ロバート・ヴェノーサなどがいる。（付記：後年ハウズナーの助手を務めたルイジ・ラスペランザが、アカデミーの後任となったエーリッヒ・ブラウアーの助手をも務め、アカデミーの初学者にミッシュテクニックを伝えていく）。

　1980年に佐藤一郎は『絵画技術体系』（Ｍ・デルナー著美術出版社）を訳している。高橋（常）はハンブルグ美術大学でハウズナーの助手を務め、デルナー技法に精通していた為、その実践テクニックを技法書ムック『女を描く』で示し、これらが日本における体系的な技法紹介の契機ともなった。

　一方、ミッシュテクニックの直接的な指導は1981年頃から、川口による個人的営為が先行する。そらが早見芸術学園（鎌倉）などでのテンペラ画講座であった〔小沢純などが受講）。 その後、青木画廊と縁深いペヨトル工房が、高橋（常）、川口等を抱して公開講座を主催し（相馬武夫などが受講）、やがて川口のみによる私的夏期講座が 各地で継続されていく。そうしたものに、1984年の青木画廊協力による大山弘明主催の水戸セミナーが挙げられる。これには渡辺高士や田中章滋が参加し ている。これらの講座にはプロの画家達が教えを乞い、その技法的関心に並々ならぬものがあった証左でもあった。

　そうした下地を受け、1986年にマリレ・イヌボウ・小野寺、坂下広吉、鈴木和道等により「ヴィーナーマルシューレ」（原宿）が開校、フックスが祝いのメッセージを寄せている。ここにも青木画廊の強力な推輓があり、一般者に混じって多くの画家が学ぶために籍を置いた（これに先んじて、イヌボウ・小野寺に最も初期に技法を学んだ者に蛇雄がいる）。青木画廊関係の受講者を列挙するなら、イヌボウ・小野寺クラスに浅野信二、健石修志、高橋勉、高松玲子、田中章滋、月野阿弥子、（同じ頃、市川伸彦はイヌボウ小野寺の大阪講座を受講）、鈴木和道クラスに小野田維、坂下広吉クラスに浅野信二などが挙げられ る。

　1987年に文化庁の在外派遣研修員としてフィレンツェにあった川口が、帰国後合流（水野恵理、高橋光が受講）1989年に閉じる及んで、川口のみによる「マルシューレシュテルン」（渋谷）として継続、そして閉校（石田富弥、小石貞夫などが受講）。
　その後川口個人の活動によって、その教授が女子美術大学、多摩美術大学、武蔵野美術大学他各所で展開され、今日に至っている。
ウイーン幻想派からミッシュテクニックという宝物を授かった子等は、フックスの流れから数えて早第五世代ともなっている。

付記：この他、ウイーンに短期、長期に学んだ画家は多士済々であるが、当該テクストの性質上割愛した。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　田中章滋　識</span> ]]>
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		<title>★トルコ菓子</title>

		<description>　トルコ菓子                           …</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ <span style="font-size:x-large;">　<span style="font-weight:bold;">トルコ菓子</span>                             源　章            　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
<span style="font-size:medium;"><span style="font-size:large;">　おお、あなたのしなやかに曲げられた棒の中に私の心は球のように置かれている。あなたの命令から毛幅ほども逸れず、背かず、私は水を汲み、注いで、私の外側を洗い清めた。私の内側はあなたの棲家。主よ、それを曇りなく保ち給え。 　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　
　　　　　　　　　「霊魂の薬」　アブー・カーシム・ジュナイド

　真珠が哀れな貝殻が患う病素に過ぎないのに等しく、詩は人間の病いなのであろうか。　　　　 　　

　　　　　「ドイツロマン派第二部四章」　ハインリッヒ・ハイネ </span></span>

　　　　　　　　　１ 

<span style="font-size:large;">　　 §『黒オリーブの会』§

　『黒オリーブの会』の主顕節のパーティーで、アドリアン・ドュ・プレシスは言った。「トルコ菓子はお好きですか？」折しも、濃厚なソースの鳥料理を終え、ガレット・ド・ロワとともに供されたトル
コ式コーヒーのロマネスクな風味が、会席者の間でひとしきり好評を博した時であった。「パリでも、この頃ではアラブ人街に限らずトルコ菓子を見かけるようになって来ましたが、わたしにとって暫くこの菓子は恐怖の対象ですらあったのです。以前わたしの住んでいた十区は、旧くからのアラブ人街で、回教寺院さえありました。別段、人種偏見はもたぬ心算ですがわたしはカトリックですし、回教徒の菓子にことさら食欲を感じたことはありませんでした。しかし、ある時この菓子の味覚にとりつかれてしまったのです。」以下はアドリアンが語った菓子に纏る数奇な物語である。 

　　§アドリアンは語る§

　聖心教会は今や観光名所以外のなにものでもありません。近頃では、モンマルトルから北駅、東駅界隈にかけて生粋の破落戸や、やくざの姿を見掛けることは少なくなりました。元来、パリの暗黒街はジプシーや外国からの流民に端を発するのですから、生粋のという形容詞に語弊がなくもありませんが、アブドゥル・アザールは筋金入りのピガール街のひもでした。アブドゥルはよくこう言ったものです。

　「本物のマクロってえのはね、旦那、決してお客の前に姿を見せちゃいけねえんで。あたしの国じゃハーレムの伝統ってぇものがあるので……客と出くわすとしたらそりゃ客の心臓にナイフを差し込む場合に限ってのこと。あたしの顔を見ながら天国へ行ってもらう訳でさぁ。」 

　アブドゥルは異端イスマイリ派だったらしいのですが、その詳細を明かすことは絶えてありませんでした。彼とは『光輝の書における天使の起源について』の著者エフライム・エジェジップ教授の通 暁を得て知り合ったのでした。程なく、イスラム神学の複雑極まりない教儀とその解釈を巡って何度か議論を交わすうち、お互いの生業について打ち明けるほど親しくなったという訳です。やくざ者が何故、学会有数の神学者と懇意にしていたかは詳らかにはしませんが、彼の学説は概ねこのようでした。従来、キリスト教圏での天使の階級は偽ディオニシウス・アレオパギダの「天上位 階」を典拠とし、熾天使セラフィム、智天使ヨフィエル、座天使ザフキエルに率いられた二十四天使、主天使サドキエル、力天使カマエル、能天使ラファエルによる二十四天使、大天使ミカエル、権天使アニエル、天使カブリエル等二十四天使合わせて七十二天使となりますが、これに対しアブドゥルのそれは、カブリエル、ミカエル、イスラフィール、マーリク、ザバーニーヤ、ムンカル、ナキール、ハールート、マールート、イブリース、マリード、イフリート、ジン、ジャーン、シャイターンと天界から地獄まで切れ目なく無数に続く天使群による神域器官と捉え、これらが父にして同時に母なる宇宙の壮大な腟の形に布置されているというものでした。
　しかもシャイタン、即ちサタンも人間を導く霊的指導者の任にあり、恩寵を打ち消す誘惑の義務を担っていると言うのです。これは最早悪魔礼拝以外のなにものでもありませんが、アブドゥールの哲学は常に冷悧で、アラブ人特有の狂信も、オカルティストにありがちな野獣主義的狂熱も見られませんでした。」

　　§アブドゥルとアドリアン§ 

　アラビック・ホスピタリティの習慣に従って二人は食事に招待しあう間柄となっていった。気難しく、時に人間嫌いをすら標榜していたアドリアンが、断食月まで付き合っていたのだから、これはすこぶる稀有なことと言わねばなるまい。オスマン朝最後の宮廷料理人を父とするアブドゥルの料理の腕前は、食習慣の違いを凌駕してアドリアンを魅了した。殊に、菓子のレパートリーはアブドゥルが披露したオリジナルを含め数百種に達していたという。ナイチンゲールの巣、大臣の指、婦人の臍、美人の唇、ポンプ菓子、喉の愛撫、法官の口、ゼイナブの手、天馬の卵、イシュタールの乳房、菓子の番人エトセトラ、エトセトラ。
　特に最後の三種はボル地方出身のアブドゥルにとって、世が世ならば約束されていた筈の十二人の宮廷料理人の御用厨房から、皇帝メフメト六世に捧げられるべく編み出された御用達メニューであった。『天馬の卵』は栗を核とし、その回りをシャーレーヤと蜜で練り固めたピスタショの餡でくるみ、さらに全体をホワイトチョコレートで卵様に覆ったトルコ風マロングラッセ。『イシュタールの乳房』は十個のシロップ漬けの胡桃を連ねてユフカに詰め、人形を象って焼き上げ、蜜に浸した後ココナッツを撒いて、さらに目と臍の位 置に柘榴の粒を配したタルト。『菓子の番人』は玉葱或いはモスクを象って硬く焼き締めた団子状のメレンゲであったが、これだけは何か製法の秘密があるらしく、食べることも触れることも許さなかった。アブドゥルは食卓で常にこう説明したという。 

　「この『菓子の番人』はね、旦那、食べる菓子ではなくて嗅ぐ菓子なんで。こうして料　理の初めから置いときます。するってぇと、たっぷり詰め込んだ麝香の香りが食欲を刺　激して、教父マホメッドの教える健全なる飲食が行えるので。ですからこの菓子はあた　しの食卓を守る菓子の番人って訳でして。神の御名において（戴きましょう）。」 

　　　§アドリアンの背徳§

　ここでアドリアンの口からは語られなかった若干のことを告げておかねばならない。
　ドュ・プレシス家は、フランス歴史学協会編纂の『紋章学年鑑』にも名を連ねた名家であったが、祖父の代にビスマルクへの対独協力の廉によって瓦解し、旧領地のシャトーを売り継ぐことで細々と爵位 を繋いでいた。先代は、かつて枢機卿を多く輩出した家系の捲土重来を願って、アドリアンを神学校に進ませたが、貴族社会の後楯を失った者にそう機会があろう筈もない。アドリアンにもたらされたのは、還俗の憂目と神秘主義への傾倒のみであった。彼は、市井の快楽と罪への好奇心から、ピガールの西、シャトー・ドーに居を定めていた。そこで十年、リセのラテン語教師をしながら書物と夢想に囲まれて暮らしたが、こんな野暮な男に女が寄り付く筈も無い。彼の相手は皆ピガール界隈の商売女ばかり、しかもほんの顔見知り程度のものに過ぎなかった。その商売女達すら、髪が薄くどこかしら女性的なアドリアンを馬鹿にしてこうからかう始末。「ドリー、あたしと寝なよ！あんただったら一スーでいいわよ。」ここではいかなる地位 の男もただの男以外の者であったためしはなく、男本来の値打ちが同時に相手を値踏みすることで決まる鉄壁の掟が支配していた。だが、アドリアンは己の禁欲によって彼女等すべてをイコノグラフィックな妻と思いなしていた節がある。 
　そんな自惚れ聖人のアドリアンであったが、立ちん坊のなかに一人だけ気になる女が居た。仲間から真珠と呼ばれていた少女である。ペルルは十六。いつもサン・ドニ門のすぐ傍らで客引きをやっていた。娼婦はきまって胸の大きく開いたタイトな服やホットパンツ、ミニスカートにロングブーツといった挑発的な身なりをしていたが、ペルルはジーンズにブラウスという平均的な中高校生がする服装で立っていた。初めアドリアンはほんの職業意識から、ついでそのこじんまりとした際立った美貌に引かれ声を掛けた。 

　「君は幾つ？　こんな所に立ってたら商売女に間違われるじゃないか。」 
　「あら、あたしはその商売女よ！　間違いなんかじゃないわ。十四の時からここに立ってるの。」
　「なら学校へ行ってる筈だ。それにどう見ても君の格好は娼婦のじゃない。」 　
　「あたしの値段は二百フランよ。それに学校へも行ってるけど、その先生もあたしの上得意だの。」 　

　アドリアンはこの高飛車な態度に気持ちが沸騰するのを覚えた。矢も盾も堪らずこの小娘の鼻をあかしてやりたいという衝動から彼女を言い値で買い、自分のアパルトマンまで引き摺ってきた。部屋に力ずくで押し込められたペルルは「何するのよ！　いくらあんたの部屋が近いからって、置き屋の部屋を使わなきゃあたしが怒られるじゃない！　あと百フラン割り増しを戴くわ。先払いよ。」といってアドリアンの背広の内ポケットに手をやったがアドリアンは相手のなすがままにしていた。サイフの中が潤沢だったからだ。それを見たペルルは急に態度を軟化させ「見掛けによらずお金持ちなのね。」と三百フランを抜きながら「もう少し弾めばあたしを買い切れるわよ。」と付け加えた。 
　この時アドリアンの中である腹黒い計画が沸き起こった。ここでこの小娘を性的に蹂躙するよりは、この少女に新しい理性の教育を施し、天国と地獄の共存する乱れたる天使と化さしめようと。その日から『ヴィアンフィラートル姉妹』めいた筋書きが実行されたのだった。それはペルルに一日一人以上の客を取らせぬ ようにし、足りぬ稼ぎ分を保証する代わりに自らの行状の懺悔と読書による学習を強いるというものであった。ペルルは初めこの条件のたやすい契約を訝かったが、何時の間にか自ら進んでやってくるようになっていった。
　最初のテキストはペルシャ神仙譚で、これはペルル自ら選び気にいっていたものであった。初めてアドリアンの部屋に来た際、半ば呆れたように本で埋め尽くされた壁という壁を眺め回したことは容易に想像がつく、父祖伝来の彼の蔵書はそんじょそこらの聖書学者もかなわぬ 程に充実していたからである。そこから一冊選べというと迷わず波斯語仏語対訳版の十二折り本を手にしたのであった。真紅の背革の列がスウェーデンボルグやスコラ学派のいかにも厳めしい黒や茶の背革よりも目に付きやすかったからであろう。ペルルはアドリアンにとってかつてみぬ ほど有能な生徒となった。またアドリアンの方でも、まさに教師であることを天職と思える程熱心に教授に打ち込み、この身体ばかりか知能までも早熟な少女を、自分の娘のようにさえ思い始めていった。

　このようにして、僅か一年あまりの内にペルルの古典および宗教学の知識は、見掛けの上ではアドリアンの学識に迫る程になっていたが、アドリアンはこの知識欲の旺盛な少女によって、己の観念世界が、さながら白蟻に巣くわれた古株のように侵蝕されるに任せていた。 
　今や、アドリアンの個人教授なしでも、ペルルは自らの興味の赴くままにアドリアンの書斎を使いこなし、学校にも行かずに終日書庫に入り浸っていたのである。時には、抹香臭い蒐書の陥穽を埋めるべく、モロッコ革装の明らかに高価な古書を調達してくるほどだったが、それらについてはアドリアンのプライド故か、一切関知しなかった。その多くは文学書に相違なかったが、かつてならそうしたであろうペルルへの干渉も、既に自分の分身であるような思いから計画そのものの放棄へと向っていたというべきか。
　いつしか、一日一人の客引きも、その懺悔の契約も守られなくなっていった。それは、彼女の虚言癖と類い稀な創作力によって、ある時期アドリアンを欺いていたが、過度に文学的な抽象性を帯びるにいたって察知されたのだった。ペルルの告白は『ジュリエット』の言葉使いに酷似していたが、彼はそれすら楽しんでいたもののようである。 
　一方、そうした事態にも拘らずこの頃のアドリアンはといえば、急速に親しくなったアブドゥルとの交際に心奪われ、ほとんどペルルのことなど念頭になかったのであった。 

　　　　　　　　　２

　　§アブドゥルから届いた招待状§ 

　アッラーの他に神はなくマホメッドはアッラーの使徒なり 

　偉大なる学匠料理人アブドゥル・アザールによる宮廷料理店
『エル・マラーイカ』一日のみの開店にご招待 
　ヒジュラ歴一三九二年シャッワール（十月）八日正午より
　十区サン・ジュリアン通り十一番地仮店舗にて 
（身を潔めて御出でください）
　慈悲深く、慈愛あまねきアッラーの御名において

　　§アドリアンは語り継ぐ§

　招待状の着信が、『力の夜』と呼ばれるマホメッドに聖典が下った日であることから推して、十月八日はアブドゥルの断食行が明ける日でした。そして、信者のみで共有すべき連帯の輪の中に加わる栄誉がわたしにも与えられたのです。わたしがこの日を心待ちにしたことは言うまでもありません。アブドゥルが親しくし、また宮廷祭式にのっとった極上の料理を振る舞われる資格を持つ賓客達との新たな出会いを期待して、その日の為にトルコ帽まで手にいれたほどでした。案の定、それはアブドゥルが予てから計画していた一世一代の大饗宴だったのです。

　その日わたしは明け方から起き出し、ハンマームでの潔めの習慣を真似て入浴しながらニザーミーの五部作を読み、いつになく健康的な朝を迎えました。家紋の縫い取られた礼服を着込み、トルコ帽を小脇にかかえて外に出ると、旅立ちに似た爽快な気分に呼応するように、街は秋晴れの素晴らしい陽気でした。いつも見慣れたサン・ドニ門の重苦しい暗灰色の浮き彫りも、色付き始めたマロニエ樹の黄金色の葉群に照り返されて輝いて見えました。正午までの時間を、メトロのアール・ヌーボー調の古い客車の一等席で潰すことにしたのですが、まるで子供のようだとお笑いにならないでください。シャトー・ドーとサン・ドニの僅か一区間を時計回りと反時計回りに、パリをほぼ二周もしてしまったのです。
　『エル・マラーイカ』は牡蠣料理店『海軟風』の角向かいにあった馬肉卸商を改装したものでした。その前を何度も通っていたのに気づかなかったほどですから、それが極めて短い工事であったことが窺われます。にも拘らず、一部にモザィク様の肉屋共通のタイルを残したその外観は、ビザンチン教会をことごとくモスクやミナレットに改築してみせたオスマン・トルコの折衷の妙を思わせる唐草紋様で取り巻かれていました。ファサード風に、あるいは天幕風に舗道に突き出したテント地の仮設の入り口は、無闇に入ろうとするものを容易に退ける類いのものでしたが、詰め襟に赤いトルコ帽を被った人士が次々と中に吸い込まれていくのを見て、幾分気後れを感じていたわたしも意を決し、手に持っていたトルコ帽を頭に乗せ中に入っていったのです。 
　『エル・マラーイカ』の屋号の下にアラビア語、ペルシャ語、現代トルコ語、ラテン語、ギリシャ語で細かく今日のメニューが載った偏額（ブラッスリーによくある型の）を吊した戸を押し開けると、ぬ っと褐色の肌をした男が立ちはだかりました。中はかなりざわついた様子がみてとれましたが、丁度なにかの儀式が始まろうとしているところでした。男の疑り深そうな、険しいまなざしに一瞬たじろぎましたが、招待状を差し出すとメウレウィー教団風の白い衣装と花押入りのカードを手渡されたのです。 
　そこはさながらウスクダルの市場かと思えるほど様々な人種の眼、鼻、口、髪の集まりで、皆一様にトーガを羽織っていましたが、品格の有無によらず男ばかり四十人程がひしめく奥行きのある店内は、異教徒の眼には威圧的でした。中にエジェジップ教授の姿を見掛けなかったなら、わたしは最後まで萎縮した気分のまま、身動きもままならなかったでしょう。 
　「ここで君に会おうとは思っても見なかったねぇ、ドュ・プレシス君。君は改宗したの　かね？」
　教授が回教徒であったとは、その日その時まで露知らなかったのですが、わたしはアブドゥルへの紹介の礼を述べ、その芸術と哲学を賛えました。 
　「ハッハッハッ、学匠料理長アザールの菓子の魔力に憑かれたという訳だね。しかし、　今日は単なるパーティーとはいかない。君も覚悟をしておかねばならんよ。」　　　　

　教授の意味深な口調の理由は程無く了解されました。入店してからずっとヴェーヴェーと獣の鳴き声のような音がしていたのを、てっきり楽士が入っているのだろうと思って気にもとめなかったのですが、これからアラブ式の仔羊の屠殺が行われるというのです。店内は決して狭くはなかったのですが、天井が高いせいか回廊のように細長い印象を与えました。その一番奥の、厨房に通 じるマントルピースの上の壁に、刃先の少しずつ異なった実に夥しい数のナイフが掲げてあり、それらのうち、『ファーティマの手』の形に飾りつけられた五本が今日の犠牲動物のために使われるとのことでした。 
　まだテーブルも食器の類いもまるで用意されておらず、朝から何も口にしていなかったことが悔やまれました。教授にそのことを打ち明けると「まだ飲み物も水煙管もご法度なのだが、君は特別 だ。」と側にいた給仕役の少年を呼び紅茶を取り寄せてくれ「さあ、祭礼が始まる。君も招待客の礼儀として正午の礼拝式に参列したまえ」といって平伏低頭の礼拝動作と唱句を教示してくれました。正直言って、この時は後程教会に懺悔にいかねばという懸念と同時に、罪故の幸福とでもいった、一種痺れのような得体のしれぬ 快感が走りました。会席者一同が腰を折り畳んで、メッカのある方向に向かって小波のように祈りを捧げている姿は、胸を打ちます。ましてそこに自分が同じ様にしているのですから、格別 な思いがしない筈はありません。ふと、自分がルネ・ゲノンにでもなったような気がしました。 

　礼拝式が一通り終わると、入り口で番を務めていた肌黒い男を含む三人組が広間の中央に進み出て、旋回舞踊を舞い始めました。そこかしこから、山犬の遠吠えのように長い唸り声でコーランの歌唱が響きだし、不規則な鼓の音も混じりだしました。それは実にゆったりとした眠気を誘うリズムでしたが、踊り手たちは永遠に回り続ける独楽のように旋回を繰り返しながら、徐々に忘我の境地に入っていくらしく、首をのけぞらす度に円筒状の丈の高い帽子が単調な回転に変化を与えるのです。空腹と眩暈とから来るエクスタシーの共有とでも言えばよいのでしょうか、観ている側にもある種の酩酊感が伝わってくるのです。 
　いよいよ仔羊の屠殺の番です。屈強そうな若者に羽交締めにされ、仔羊が悲痛な叫びをあげながらマントルピースの下に置かれた大きな金盥の前に差し出されました。待ちに待ったアブドゥルの登場。肩から脇へとかかる前掛をしているものの、血のように赤い腰帯を巻き、宮廷料理長の制服を着た晴姿はいつもの彼とはまるで別 人のような迫力が感じられました。服装ばかりではありません。白髪混じりのカイゼル髭を斧の刃、否、猪の牙のように整えたその上からは、岩をも貫き通 すかと思える程の鋭く血走った眼光が放たれていたのです。 
　禊の聖句を唱えながら彼は最初の一撃で仔羊の喉笛を見事に掻っ切り、その血を残らず金盥に絞り出すと、あとの四本のナイフを軽くそこに浸しては、綺麗に剃りあげられた自分の頭と贄の額に血染めの星型を描いて行きました。ここからは料理人としての腕の見せ所です。その場で、手早く喉元から十文字に獲物の皮を切り裂き、みるみる内に仔羊を赤裸にするや、恭しく掲げながら厨房に去っていきました。それはまるで古いドキュメントフィルムのように早回しの光景に見えました。 　
「さあ、いよいよ断食明けだ。ドュ・プレシス君、大いに饗宴を楽しもうじゃないか。」そう言って教授はわたしを壁際の方へ誘い、他の客達も一斉に壁際に退いて、店の外から運び込まれてきた長大なペルシャ絨毯の為に場所をあけました。絨毯のロールが解かれると、それまで飾り気の一切感じられなかった店内に一瞬にして芥子畑が現れたかのように艶やかな景色が拡がり、皆の間から感嘆の声がどよめきました。それから程無く続々と東洋陶磁の什器、細工も麗しい金銀の盆や盛皿、肘掛け、ビロードのクッション等が配られ、みな思い思いに大きな車座、小さな車座となって祝宴が始められました。 
　断食明けは小さくなった胃をすこしづつ広げていかねばなりません。薄荷の紅茶やスープを匙で啜るのが常の筈ですが、この時はアペリチフのワインが出たのです。酒？　まさかと思いましたが、マホメッドの民に酒は禁物の筈。わたしは周囲を見回しました。エジェジップ教授はなんら臆することなく、隣席する帽子の上から鍔のようにターバンを巻いたトルコ人法学者らしき老人と言葉を交わしながら盃を嘗めていました。聞くのは無粋と思いわたしも一息に盃を干しました。ところがワインと思ったものは、強烈な火酒の類いだったのです。喉から胃にかけてがまるで茹で釜のようになり、顳需頁まで一気に上気してしまいました。 
　料理は間断なく次々と現れては会食者の口に運ばれました。その多くは野菜の詰め物や煮物、パテ風のものや魚など、一口の大きさに上品に取り分けられていましたが、メインディッシュといえるようなものはまだ出てきません。怠惰な風情でボンボンのように摘んでは口にする、あるいはカシャク（スプーン）唯一つでスープから魚、サラダ、肉に至るまで全てを掬う、これを際限もなく繰り返していくのです。そうする内に水煙管などを吸い出す者も出始め、ますます頽廢的な気分が横溢していくのでした。尤も、肘掛けに手を凭せ懸けた横臥スタイルの古式な食事ですから豪奢といえば豪奢なのですが…。 

　煙草の煙と人いきれで濁った食堂内の空気に、ラム肉の焼ける香ばしい匂いが漂い始めました。やっとメインの仔羊です。その頃にはわたしの酔いも漸く醒めかけていましたので、味覚が正常に戻ってきていました。入り口で渡されたメニューカード。これにも招待状同様、極彩色のミニアチュール画が添えられていましたが、その図案は何故か魔女ゴルゴンを描いたものでしたを確かめると、いままでに出された料理の種類は十三種、イシュケンベ・チュルバス（牛の胃のスープ）、ミディエ・ドルマス（ムール貝の蒸し煮）、トゥズ・ウスクムル（鯖の塩漬け）、クル・ファスルエ（インゲンマメの煮物）、バーミヤ・エメイ（オクラの煮付け）、ビベル・タバス（ピーマンの揚げ物）、チー・キョフテ（生肉団子）、クシュ・コンマズ（アスパラガス）、ボレック（トルコ春巻）、プラサ・キョフテシ（ネギ入り肉団子）、シエル（レバー炒め）、ウスパナック・キョフテシ（ホウレンソウ入り揚げ団子）、ピリチ・ウズガラス（雛鳥の網焼き）そして次がクユ・ケバブ（仔羊の蒸し焼き）とあり、これが終われば待望のデザート菓子です。いかなる趣向が凝らされているか教授に話題を差し向けてみましたが、先程から教儀の話に夢中らしく、熱心に隣の法学者をかき口説いているのでした。わたしのしつこい催促に話の腰を折られてか、真顔になった教授は口角泡を飛ばしながらわたしにこう詰め寄りました。 
　「君は何を呑気なことを言っているのかね。今、僕がご老人と話しているのは君のこと　なんだよ。これは内密にしなければならないことだが、アブドゥル同様に君を信じて伝　えて置く。ここに集まっている我々はトルコ本国で最も危険と見做されているスルタン　寄りの神秘主義教徒なのだ。ケマル・アタチュルクの追放令によって亡国の徒となった　が、独自の暗殺結社を組織して今もオスマン朝の再興に尽くしている。ご老人はその長　なのだ。君のことを頻りと疑っている。こうなったからには、君の身の安全の為にもこ　のまま我々の教団に加わることを勧める。」 
　わたしはこの身の凍るような話を聞かされるまで、ここにいる自分を異国の迷路に迷い込んだ異邦人ぐらいに思い情緒のみを味わっていたのです。宗教学者の多くが研究に研鑚を積めば積むほど限りなく背教的になっていくことから、異宗教間の学際的な情報交換が可能だと漠然と信じていたからでした。このあとは総てのことが肌に粟を生じさせる責め苦の連続となったのです。ケバブの串に怯え、給仕の一挙手一投足に恐怖し、なによりも長老の白内障ぎみの澱んだまなざしが、わたしを捕えて離さないことを意識してからは、その目の神経繊維がわたしの身体にマリオネットの操り糸のように絡みついて、わたしの行動をギクシャクさせる思いに駆られたのでした。……《邪視》、迷信の呪いの目が現実にここにある、と正にわたしは叫び出さんばかりでした。 
　折よく、デザートの菓子を満載したベッドのように大きなワゴンを押しながら、誇らしげな様子のアブドゥルが再度登場してきたので、わたしはこけつまろびつしながら彼のもとに縋りにいきました。宴は闌です。わたしを認めたアブドゥルは− 
　「やぁ、旦那。おいで下さると信じてましたよ。それにその帽子、有り難てぇことです。　アッラーのお導きに感謝いたします。さあ召し上がれ。この菓子の名は《イシュタール　の真珠》と申します。こん中にはあたしの愛するラーラ（チューリップ）がたんまり詰　まってるんで。」 
　といって、中央部を覆っていたパラフィン紙を取り除けると、そこには豊饒の女神デメテールの大理石像かと見紛う等身大の砂糖菓子に、シロップ漬けの果物と色とりどりのチューリップがあしらわれ、それはそれは見事な出来でした。邪気のないアブドゥルの歓待に触れ、幾らかは落ち着きを取り戻したものの、気を鎮めようとすればするほど、声も手もわなわなと震えて止まらないのでした。最初の失態は、オレンジを丸煮にして拵えた十二個の菓子の乳房の内の大半を滑って取り落してしまったことでした。アブドゥルは苦笑しながらも、極めて寛容な態度を崩しませんでしたが、慌てふためいたのはわたしの方でした。驚いたことに菓子人形のわたしが壊した胸から腹部にかけてからは露わな肌が剥き出されて波打ち、栗色の恥毛まで覗いていたのです。中身は人形かと思いきや女性！　しかも眠り姫への接吻の自由のようにそれは差し出されていたのです。身も世もないほど気が動転したわたしは、その場に硬直したように立ち尽くすばかりでした。ここからすぐにでも逃げ出したいという気持ちとは裏腹に……。壊れかけたとはいえ、アブドゥルの芸術を真近に見ようと会食者全員が怒濤のように押し寄せてわたしをもみくちゃにしましたが、そんなことは誰も意に介せず、皆口々に感嘆の言葉や賛辞を呈しては銘々好きな箇所の菓子を鷲掴んで頬ばり始めました。さながら干潟の貝に群がる鶴たちの争奪戦のような有様です。ものの数分も経たないうちにワゴン上の夥しい砂糖菓子は姿を消し、代わりに現れたのはうら若き女性の禁断の肉体と秘部を覆うようにして張り詰められた白いチューリップの花弁のみでした。頭部だけはイスラムの風習に従いチャドルで厳重に覆い隠されていたのですが、それがかえって仮面のエロスを辺りに発散していました。わたしは菓子を味わうどころではなく、塩の柱のごとくひたすら時の過ぎるのを待ち侘びて佇立し続けておりました。アブドゥルはといえば、いかにも満悦の体で「驚きになりましたかい？　ハーレムじゃよくスルタン陛下の無聊をお慰めするために、こうした余興を拵えたものだとあたしの爺さんから聞いたもんでした。」と言いながらわたしの肩にポンと手をおきました。わたしの極度の緊張はそれを機会にみるみる氷解していきました。どうしたことか自分でもまったく解らぬうちに目頭が熱くなり、ペテロのようにとめどなく涙が溢れ出して止みませんでした。これを深い感動と読み取ったアブドゥルがわたしに抱擁で応えようとした、その矢先です、それまで身動ぎひとつしなかった女神像の黒いチャドルの奥から、囁きが漏れてきたのです。その声はアブドゥルを呼ぶものでした。彼は一瞬それまでわたしに見せたこともない気色ばんだ凄味のある顔をそちらに向けましたが、「失礼」と言ったなり女神のワゴンとともに厨房へと去って行きました。そうした間にもトルココーヒーが配られていたらしく、宴の終了を告げる合図が給仕たちの動きを活発にしていました。顔見知り同志で寛ぎ続ける者、厨房に挨拶を交わしにいく者、帰り支度を始める者などが現れだし、わたしは漸く我に還りました。わたしの不安を苛み続けた法学者もエジェジップ教授もいつのまにか姿を消していました。この機を逃すまじとわたしは紙魚のごとき素早さで『エル・マラーイカ』から脱出したのでした。

　　　　　　　　　３


　アドリアンが自分の部屋に帰り着いたのはその日の深夜であった。追手に尾行されているという強迫観念からメトロに乗り続けたという。 
　それまで遊牧民やジプシー達の生業に特別な共感を覚えていたアドリアンにとって、領地というものがこれ程気持ちを落ち着かせ慰安を与えるものだったとはついぞ思い至らなかった。部屋に辿り着くなり、胃の腑を焼く羊肉特有の鉛のような匂いの染み付いたその日の服に噎せ返り、嘔吐し続けたが、同時に悪をも吐き尽くしている思いに駆られていたのではあるまいか。しかし、それもほんの束の間で恐怖は確実に彼の後を追ってきていたのであった。 
　平常心を取り戻すため月明りの中で入浴を済ませ、憎むべきアラブの風習をすっかり洗い流した気で書斎のカウチ・ソファーに坐り、書棚のほぼ中央に並ぶ聖書外典の一冊に手を伸ばした時である、何たる悪意であろう、あのアブドゥルの『菓子の番人』がさながら柘榴の真理の象徴を嘲笑うかのごとき相似形で、そこに鎮座ましましていたのであった。一体誰がどうやってこの書斎へ忍び込み、悪戯というより脅迫に意を用いたかかる仕業を為し得るというのか？　アドリアンにはまるで身に覚えがなかった。まして、一度空き巣の被害を受けてから戸締まりには万全の気配りをしていたのだから。またしても平静さを失ったアドリアンを慰める手立てはもう最早見当たらない。彼の書斎の聖地奪回は虚しい努力と言わねばならなかった。『菓子の番人』は首府の爆心地から恐るべき放射能を発散し、全ての書物を汚染するに充分な中心の喪失をもたらしていたのである。 
　こうなっては『菓子の番人』を部屋から駆逐することすら限りなく不可能に思えた。何よりもこの菓子そのものが恐怖の喚起装置として機能しているのだから、為す術もない。　ここでアドリアンに重大な見落としがあったとしても、責める訳にはいかないだろう。

　　§アドリアンはさらに語り継ぐ§ 

　『菓子の番人』は何処にあってもわたしの意識を吸収し止まぬあの邪視そのものでした。そこには老法学者、エジェジップ教授、そしてアブドゥルすら現れてはわたしを激しい呪いの渦の中に引き込むのです。一体如何なる神秘主義結社なのか？　『山の老翁』のような暗殺結社が今だに存在するとは俄かには信じ難い話ですが、エジェジップ教授程の学者が人を担ぐ目的のみであんなことを言うものだろうか？　ではここに突如存在を始めた菓子をどう説明すればよいのか。反問を繰り返せば繰り返すほど、わたしは理性と狂気のあわいに落ち込んで行くのでした。 
　強迫神経症を持ち出すまでもなく、わたしが病的状態に陥っていたとするのは容易でしょうが、暗き道に一条の照明を当てて見てもその暗さの本質を言い当てられるとは限らぬ ものです。不安に彩られた束の間の眠りにあっても、わたしの本能的な恐怖は増大するばかりでした。そのうちのひとつは現実にわたしの四肢を引き裂かんばかりのものだったのです。 

　皆さんは入眠時や半覚醒時に意識が充分に外界を認識しながら、身体がまったく不随意になってしまう生理現象を体験したことがありますか？　一説に金縛りなどと云われますが、そのときのわたしは絶体絶命の、生きながらの埋葬のように筆舌に尽くし難い苦難にあったのです。
　極度の緊張と弛緩の繰り返しは時に感覚麻痺を生じさせます。『エル・マラーイカ』に纏わる一連の出来事はわたしにそうした反応をもたらしたのでした。疲労は極に達しており、うつらうつらとしては、ハッと目覚め、また一瞬眠っては目覚めるという状態の繰り返しのうちに、わたしは起きているのか、夢をみているのかまったく解らない朦朧とした状態にありました。にも拘らず思考や自意識は連続性を保っており、カウチ・ソファーに寝そべっていることも、部屋の周囲の様子も、まして依然として悪を放射し続ける『菓子の番人』のことも充分に観察を続けていられたのです。 
　そうした最中、あの金縛り現象に見舞われたのです。足から徐々に硬直し始め、じわじわとそれは蟻が這い伝わってくるように全身に及んでいきました。それが首まで及ぶに至って、なんとか自由になろうと四肢を突っ張ってみたり、瞬きをしてみたりしましたが、自分の身体であるにも拘らずまったく身動きがとれません。大きな岩のようなものが、いえ、巨大化した『菓子の番人』がわたしの下半身にのしかかってきて、わたしを圧死させようとしてくるのです。これは幻覚に違いないと確信しつつ、激痛が体内を駆け巡るのを止めることはできませんでした。わたしはまるで無抵抗で、『菓子の番人』はますます巨大化してわたしの顔にまで迫ってきました。このままでは死は免れないもう駄 目だ、そう思った瞬間、わたしの身体は四分五裂して下肢は天の方向へ、頭は奈落の方へと限りなく上昇と下降を続けていたのでした。それでも身体感覚はどこまでも通 じていて統一感を欠くことはありません。いつの間にか双の眼までが自分の眼窩を離れて書斎の天井の辺りを漂っている感覚がするのです。視界は一挙に拡張し、視野はさながら昆虫の複眼もかくやと思える程、実に様々な映像を伝えてきました。その一つは確実にわたしの身体が書斎一杯に膨脹した『菓子の番人』の下敷きになっている図でした。
　そうした映像の一々を挙げればきりがありませんが、次第に聴覚の方も鋭敏になってきて、それらが現在、過去、未来に亘る宇宙の他次元多重構造の交差地点であると呟く何者かの声が聞こえたような気がしました。神か悪魔かその声の主を見分けることなど叶いません。なぜならその声はわたし自身の口から漏れたのですから……。しかしその声が、わたしの意思とも、またわたしの悟性からも途方もなく遠いところから語られた言葉であったと今も信じております。
　とこうするうち、シンバルを力まかせに打ち合わせたような大音響を契機として、身体各部に重力の軛とでもいったような何か拘束的な苦痛が加わりだしました。この後一挙に景色が水を潜らせたように歪んでわたしは我に還ったのでした。

　気がつくとアパルトマンのわたしの部屋のドアを罵りながら激しく叩きつけている者がいました。そいつは辺り構わず罵声の限りを尽くして怒鳴り散らし、応答がないとみるや、最後に刃物のようなものを突き立てたと思しい大きな一撃を残して去って行きました。 
　何者かはわかりませんが、仮に暗殺結社の手のものであったとしてもわたしの要塞の門がひとまず敵を寄せつけないことを知ってからか、わたしは意を強くし、十字軍遠征を、『菓子の番人』への聖戦を挑むことに意を決しました。そう思ってみると今までの『菓子の番人』への畏怖はただの思い過ごしにすぎず、何と他愛もないものに怯えたことかと勇気が湧いてくるのでした。

　いざ出陣です。左手に聖十字を持ち、右手に蟹用の料理鋏を武器として突撃を試みたのです。菓子はブルー・モスクの偉容を見せて聖書の険崖の上に聳えていましたが、我が聖なる剣の一振りに実に呆気なく落城したのです。二枚貝のようにまっぷたつに割れた内部からパウダー状の香辛料が辺り一面 に舞い上がりました。あまりに顔を接近させていたので一瞬目潰しにあいましたが、濛々たる香料の砂塵の中から現れたのは菓子のドームの中空に浮かぶトルコ石製の小指の先ほどのマホメッドの小像だったのです。どうしてそれが宙に浮くことができていたのかまったく見当もつきませんでした。が、よくよく眼を凝らして見ると、なんとその両翼に半月刀や軍旗を振り翳す屈強そうな軍勢が控えていたのです。行進の軍楽を響かせながら一足ごとに待針ほどの刀をシャキッ、シャキッと前に突き出しながらわたしの眼前に迫ってきます。その先駆けの兵士の中には『エル・マラーイカ』で見掛けた人々の顔がありました……。

　　　　　　　　　４

　先にアドリアンに重大な見落としがあったとしたが、それはペルルが『菓子の番人』とともにアドリアンの部屋に持ち込んだ置き手紙であった。 

　　§ペルルの手紙§ 　

　　　愛するアドリアンへ

　あのサン・ジュリアン通りの会場にあなたがいようとは思いもよりませんでした。 　
　あたしが何処に居たかは御存知ではなかったでしょうが、今はもうお分かりでしょう。あたしは菓子の中にいました。もう何もかもお終いです。アブドゥル・アザールはあたしの父なのです。あなたとのこの一年間のあまりにも素晴らしかった個人教授の日々を思い起こすと、あなたとの出会いがもっと違った形であったならばと悔やんでも悔やみ切れません。あなたによってどれほど人生の意味と美しさについて教えられたことでしょう。でも、あたしが娼婦であることだけは、何も変ってはいません。そしてあたしの父の本当の仕事は御存知の通り。かなり前から父はあたしの素行の変化に疑いを抱いてあたしを責め立てていたのですが、もう隠しきれません。とうとうあなたとの関係を白状してしまいました。
　ああ、アドリアン！　あなたはあたしの愛をどれ程お気づきでいらっしゃいましたか？　できることなら、あたしを真の救いへとお導きくださることは叶いませんか？　あたしの願いを聞き届けてくださいますなら、あたしはあたしのすべてを投げ出す事でしょう。
　父はあなたへの血の復讐を誓っています。すぐにでもお逃げください。父の手が及ばぬ何処か遠い所へ。どうかアッラーの御加護があなたに降り注がれんことを。
　　　追伸 
　あなたのためにお守りのお菓子を置いていきます。このお菓子は『力の夜』をそれを持つ者に与える護符なのです。

　　§ふたたび『黒オリーブの会』§

　アドリアンの熱弁はそこに居た十二人の会員達に深い感銘を与え、話し終わってから暫くの間サロン内を沈黙が支配した。毎月一回極上の料理とともに粒選りの創作、実話を披露しあうこの会にあっては、久々に喝采に値するものであった。
　会員の一部から、これを是非文章化し本にしてはどうかと言い出す者もいて話題騒然となったが、サロンの主催者であるマダム・ド・ロスタンから横槍が入った。 

　「皆さん、どうかお静かに！　ムッスュー・ドュ・プレシス、とても素敵なお話を長い間どうもありがとうございました。もうとうに十一時を回っておりますわ。あらあら皆さん、お話に夢中ですっかりガレットをお忘れになって……。さあ、そろそろ主顕節のお祝いももうあと僅か。早々に召し上がって今晩中に王様役を決めなければいけませんことよ。」
　この提案に異議を唱える者などあろう筈がなかった。皆ガレットの中から幼児キリストを探り当て、王の冠を勝ち得ようと我先に口を動かし始めた。 
　その時、突然アドリアンが喉元を押さえ、その場にもんどり打って倒れ伏すと猛烈にもがき苦しみ出した。皆この急変に慌てふためくばかりで、適切な手当てなどまるで気づかず（アドリアンがあまりにも暴れるので近づくことさえ儘ならなかったのだが）みるみるうちに顔色が紫色から土気色になり、土気色から緑色へと変わり、手の施しようがない状態になっても、最早、喉に詰まった物を吐き出させようとすらしなかったのであった。 
　これは後程判明したことだが、案の定アドリアンの気管支からはガレット・ド・ロワの陶片（フェーブ）が摘出されたのだった。この時期こうした事故は決して稀ではないとは医者の断であった。しかしこれを唾が切れるまで喋った報いとするより、逃がれ難い運命とすることの方がより相応しいと会員の間では囁かれたのである。

　　　§報告書§ 

　導師エッディン・スフラワルディー様 

　結社よりの御下命により我等の敵、キリスト教徒アドリアン・ドュ・プレシスの調書と暗殺の完了を御報告申し上げます。結社の秘密漏洩の科は神学者エフライム・エジェジップならびに調理人アブドゥル・アザール、その娘ラーラ・コシュマ・アザールに因るものと判明いたしましたが、アザール、エジェジップ両名とも我が結社にあっては重要な役職を兼ね、本来なら応報な処罰が望ましき処、ドュ・プレシスの抹殺を以ってお沙汰の情状酌量を求める次第です。 
　このうち、ラーラ・コシュマ・アザールについてのみ、ドュ・プレシスの逃走を幇助し任務遂行に多大なる障害を及ぼした廉に因り、厳罰を以って処されることを希望いたします。 　　
　アッラーの御名において寛大なる御処置と適切なるお裁きをお与えくださいますよう。　　　　　　

ヒジュラ歴一三九三年一月七日　密使アリ・マンスール・ハイヤーン</span> 

</span>
　<span style="color:#FF0000;"><span style="font-size:x-large;">　　付記

　ここに描かれたフィクションは、歴史を廻る一つの思考実験であり、特定の宗教宗派を中傷するものではありません。</span></span> ]]>
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		<dc:date>2022-10-17T23:48:20+09:00</dc:date>
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		<dc:publisher>WOX</dc:publisher>
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	<item rdf:about="https://shojitanaka.web.wox.cc/novel/entry56.html">
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		<title>★マニエール・ノワール</title>

		<description>　　　マニエール・ノワール 

　　　　…</description>
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			<![CDATA[ <span style="font-size:xx-large;"><span style="font-size:medium;"><span style="font-size:large;"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:x-large;">　　　マニエール・ノワール 

　　　　　　　　　　　　　　
われは黒けれどもなお美し
ケダルの天幕のごとく、
またソロモンの帷帳に似たり

　　　　　　　　　　　旧約聖書 

かの女は美はしくしかもそれ以上であり、驚嘆の念をそそる。かの女の裡には黒が漲り溢れ、そのあたへる感興は悉く、夜に似て深い。

　　　　　　　　　　　シャルル・ボードレール

　それは、詩篇『大鴉』のようにフランス窓から始まる。だが、そこにあるのは空虚でも軍神パラスの胸像でもなく、ブロンズ製の四枚の羽をＸ字状に拡げた有翼人の立像で、予め鴉か獅子と合体した姿をしている。これと同形のものが、アッシリアのアッシュールバニパル王治世下の出土品に多く見受けられるが、顔の部分の鋳造が悪かったのか、それとも磨滅してしまったかして、それが如何なる精霊を象ったものか確かめよう術もない。
　月が照っている。おりしも、夏時間の遅い宵闇を遊び人たちと共に楽しもうとするかのように、辺りに隅なく冴え冴えとした光を配っている。
　イヴリーヌ・レジェは待っている。彼女の永久の伴侶となるべく定められた者の出現を。そしてその懈逅の時がごく間近に迫っていることを狂おしいまでに予感している。 
　その者は、夜毎彼女の夢に執拗に立ち現れては、鞭を振るう者の呵責なき冷厳さで、彼女の嫋やかな肌に、焼印のように赤燿したナイフを押し当てていくのであった。し かしイヴリーヌには、アラブ式の作法によって屠殺を受ける羊のように、あるいはアステカのインディオ達がかつて行っていたチャツクモールの犠牲のように、その試練の執達使の姿を垣間見ることすら許されないのだった。ただ、彼女の体躯を捩じ伏せ、羽交い絞めにする、猩猩のように畏るべき力と、気の遠くなるような痛みの記憶だけが、いずれ訪れるに違いない運命の強大さを噛みしめるべく残されるのだった。 
　今、彼女は贄となる宿命を告げられて戦くタウリス島のイフィゲーニエのように胸を高鳴らせ、昼間ヴィクトル・ユゴー通りの高級下着店『青天使』で買ってきた巫女の衣＿＿＿黒い絹製の化粧着を纏ったところだ。脇の下から胸の膨らみへと連なる 箇所に、幾分か攣れを感じはするが、試着して点検してみないままに、それを買った ことを悔いはしなかった。

　　　　　　　　＊＊＊ 

　『青天使』のショーウィンドーは、古楽器を扱う骨董屋によくあるような木製の譜面台に、髭文字の書体で麗々しく『月光の恋人』とタイトルを掲げ、渦巻く色とりどりの下着類を素材に、ピエトロ・ズンボのグロッタもかくやといった劇的光景を演出していた。イギリス風の白いエナメルで塗られたいかにも瀟灑な張り出し窓を覗くと、群青と菫色の山景から覗く夕陽の残光と月影が相照らす印象的なレマン湖畔を描いた書割りを背に、コルセットやブラジャー、ショーツ、ビュスチェ、テディ、ストッキング、ガードル、スリップ、ベビードール、ペニョワール、ネグリジェ、その他ばらばらにされて、最早もとの形状すら推し量り難い程の、肌着や備品で構成された園生が誂えられていた。その舞台中央に、オルフェ（今時どこから探し出してきたものか、ピエール・イマン工房の臘製のクラッシックなマネキン人形で疑した）を据え、その 竪琴の音色に聞き惚れる麒麟、犀、鹿、狼、栗鼠、孔雀、ナイチンゲール等の剥製を配し、モンテベルディのオペラ『オルフェ』が今正に演じられつつあるかのような印象を見る者に与えていた。
　パリの下着屋のいずれもが、まるで馬具商や靴直し屋が、あら皮だの道具類だのを素っ 気なくただ並べたてているのと大差なく、大判のブラジャーとナイロンパンティーの組み合わせ（神殿騎士団ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの角のある兜とそれは大概相似形である）や石膏で固めたみたいなコルセットで示すそれらが、巨女や、弓を射る為に片乳房を削ぎ落としてしまったアマゾネス達の、威嚇的な陳列窓であったのに較べ、『青天使』のこの意表を突いた見事なディスプレイは、この界隈でも一際評判を集めていた。中でも、取り分けイヴリーヌが気にいっていたのは、天蚕糸で器用に捻られ、オルフェの光背のように羽根を広げた、黒鳥の飛翔を象ったキャミソールだった。それは、『イエローブック』の表紙絵のように極めてシンプルな、それでいて絡み付くようなか黒い描線の優美さを醸し出し、予てより彼女を魅了していたの だ。イヴリーヌの信念、《黒は色彩の女王》たることをそれは雄弁に物語っていた。
　今日の午後、この夏のアルバイト先であつた人類学博物館へと出掛けたついでに『青天使』へと寄ってみると、夏物の見切り品に混じって思いがけぬ値段で手にいれることができたのだった。部屋に帰り着くとすぐに、ディスコで汗まみれになるまで踊った身体であることも忘れ、包み紙をあけるのももどかしい手つきで真っさらのキャミソールを身に纏ったのだった。
　漸く満たされた思いに打ち浸りながら、改めて着心地を確かめる。胸の谷間のところが薔薇窓のように大胆にカットされ、しかも繊細なボビンレースで縁取られたそのキャミソールは、彼女の形良い乳房をえんどう豆を包む鞘のように柔らかく偏平させ、細っそりした胴から腹部へと隆起する肉の畝溝を際立たせていた。あまりにもぴっちりと上体に密着するので、いかにも年頃の娘らしい思い付きからか、身体の余分な線が目立ちはすまいかと少し気になった。たった一部屋きりのアパルトマンにしては、些か荘重すぎる印象を与えるスカンジナビア風の衣裳戸棚、そこに誂えられた等身大の鏡（それは彼女の第二の自我ともいえる）の前で、水鳥が羽づくろいをするように手で自らの身体を抱き抱え、様々なポーズをつけて独り言ちる。
「いいわ。」一通り着心地を確かめ終えると、ごく最近、蚤の市で見付けてきたばかりで、シルクサテン張りの背の青い縞柄の部分が擦り切れたままのナポレオン三世調のカウチソファーに、まるでレカミエ夫人の肖像画を意識してでもいるかのように、上体をすこし起こした姿勢で身を預けた。軽く目を閉じると、深夜であるにも係わらず、何処からかタムタムの連打が聞えてくる。それはエレベーターのない旧いアパルトマンの最上階に位置するイヴリーヌの部屋まで、エジソン型蓄音機の懐かしい音色のように階穽を這い登ってきて、耳に心地好く谺する。確か階下の部屋にモンテネグロ人の辻芸人が越してきたと管理人から聞いたような気がする、そして「何かに祈ってるんだわ」そう彼女は呟き、衣装箪笥の上の船の舳先のように飾り付けたネグロ彫刻の立像に、自然と目をやる。その脇の壁には、暗黒大陸アフリカの様々の地域の祭儀に用いられた仮面や用具、人形、彫刻が所狭しと並べられ、骨董屋の店先を思わせる。

　　　　　　　　＊＊＊

　イヴリーヌは白人種で生粋のパリジェンヌであったが、自分を黒白混血、否黒ん坊 であれば善かったと思う程“黒”という色彩に憑かれていた。彼女は肌を焼くため、スウェーデン人のように季節に係わりなく人工紫外線を浴びに行くことを日課の一つにしていた。彼女の通うヴォエシー通りの美容院はパリスコープの広告欄に コクトーの詩“Ｂａｔｔｅｒｉｅ”の一節を掲げ

　光る歯のあの黒ん坊は、
　外側が黒色で内側が薔薇色だ
　僕は外側が薔薇色で内側が黒色だ
　逆にしておくれ
　僕の体臭を、皮膚の色をかえてくれ
　君がヒヤシンスを花に変えた方法で

『貴嬢を心底薔薇色にする美容紫外線』と謳い文句にしていたが、イヴリーヌは有閑マダムや、夏を先取りしにやって来るマヌカン達を尻目に、密かに思うのだった《あたしは体の芯から黒くなりたいわイヴリーヌ・レジェがこれ程までに“黒”に惹かれ、異様なまでの執着を示すようになったのは何時の頃からであったろう………。シュザンヌ・バルヴィエの影響だろうか？

　　　　　　　　＊＊＊

　イヴリーヌとシュザンヌ・バルヴィエが知り合ったのは人類学博物館の見張り番のアルバイト先でであった。同じ十九歳ながら大学に進まず、十六からありとあらゆる 仕事を転々としてきたシュザンヌは、自分より遥かに大人に思えた。出会った時も積極的に声を掛けて来たのは彼女の方だった。 
　始めトロカデロ博物館一階の『レスピギのヴィーナス』のコーナーで見張り番を務 めていたイヴリーヌは、気に入っていたこのアルバイトで、自分の好きなニグロ彫刻 のコーナーに就けないことを唯一不満に思っていた。だから、必要以上にトワレットに立ったり、休憩時間を引き伸ばしたりしては見学客に混じってアフリカ美術のコーナーで油を売っていたのだ。そのコーナーに居たシュザンヌが度々見掛ける顔のイヴリーヌにこう尋ねたのが最初の出会いだった。「こんな不細工な木偶人形やら骨だのが余程お好きなようね。学者の卵さんかしら？あたしには退屈で退屈でしかたないわ。交代時間にはまだ時間があるけど、ねぇビュッフェでお話しない？」

　シュザンヌは初対面であれ何であれ誰に対しても馴々しい口をきいた。一方子供の頃から内気で人見知りがちなイヴリーヌは人を逸らさない質のシュザンヌにただただ気圧されるばかりだった。
　ビュッフェは、高校の課外授業の団体が引けたところで閑散としていた。当たり憚らぬ シュザンヌの声ばかりがホールで暫く反響し続けた。
　「あたし最近意気地無しの愛人と別れたばかりなの。どうしようもないコキュで変態男だったけどお金だけは散々貢いでくれたわ。でももうんざり！とっても嫉妬深い奴だったから……暫くは働かなくても済んだけど。なるべく体を動かさなくって済む楽な仕事でもと思ってこのバイトを選んだの。ここに来て一週間目だけど、そろそろ自分の体が木喰虫に食われた穴みたいな気分だわ。ねぇ、今日の仕事が終わったらディスコにでも繰り出さない？」意気投合と言うにはほど遠かったが、シュザンヌのこの誘いを断る理由が見つからなかった。
　それに、踊りは好きだったけれど言い寄ってくる男共を断るのが煩わしいばかりに ディスコへは行かなくなっていたので、彼女とだったら気兼ねなくダンスに夢中になれそうに思えた。

　ディスコティック『ラ・スカラ』はリヴォリ通りとパレ＝ロワイヤルの間にあり、 金曜、土曜、それから祭日の前夜に限り女性は入場無料とのことだった、仮にその日が金曜日でなかったとしても、近場のカフェかディスコの入り口付近でたむろしている男達と、即席の友達になりさえすればお金なんかいらない、シュザンヌはそう請け合った。
　シュザンヌのダンスは熱狂的だった。舞姫サロメがもし現代に生まれていたならこうで在ったろうと思えるほどに気紛れで、しかもありとあらゆるステップを知りながら危うく見えるほどに、奔放に振る舞って見せるのだった。その姿はミラーボールの反射光や、激しい音楽そのものと化して弾み、メキシコ産の飛び豆が弾けるように他の踊りの群れに飛び込んだり、辺り構わず男達の腰にぶつかっていくのだった。
　ディスコで散々汗を流してから店を出ると、挑発され、すっかりその気になった男達がぞろぞろと後を尾いてきたが、シュザンヌはそんなことには全くお構いなしだ。 イヴリーヌに向い「こいつら皆んなしみったれのガキ供よ！」そう耳打ちするなり「いい？　一気に走るわよ！」そういったなり煩く付き纏う男達を振り払いながら、一目散にその場を逃げ出すのだった。五十米程も走ると、まったく当てが外れて吠え面をかいている男達を尻目に、二人は腹を抱えて笑いあった。
　心地好い夜風にふかれながら、そぞろ歩いていた二人は何時の間にかレアール地区へとやってきていた。マヌカンが気取って歩く真似をしながらシュザンヌが言った。
　「あたしこの辺で育ったの。ようこそ、わがねぐらへ。」「やっぱり！『ラ・スカラ』から逃げ出した時から、そんな気がしてたわ」とイヴリーヌ「いろんな道をよく知ってるなって。」 「でも、田舎から家出して来てからだからね、学校へ行く代わりに社会勉強よ。生活の為なら何でもしたわ！最初に覚えたのは万引き＿＿＿＿でも直ぐにいい仲間が見つかって足を洗ったわ＿＿＿＿そいでもってその仲間達と会社を作ったの。映画のエキストラ派遣会社。すぐに潰れちゃったけど。それからモノプリのレジ係、肉屋の売り子、水商売、ヌードモデル、画廊の店番………。そうだわ！いまのあたしたちみたいに、座っているだけでお金になるいい仕事があるわ」シュザンヌはそう言ってかつてパリの胃袋と言われていたムフタール街の、暗い路地だの袋小路だのに連れ回すのだった。
　そこに、かつては温室としてどこかの建物に付属していたと見える、グラン・パレ宮を頗る小型にしたような劇場が建っていた。否、劇場とは名ばかりで、けばけばしい蛍光色で塗り立てられた看板は、シニヤックの点描画を間抜けにしたみたいな裸体の人物たちで埋め尽され、おまけに店の名前のレタリングまで点描で描いているので、辛うじて〈劇場〉の文字だけが判読できるのであった。ともあれ、その名なしの〈劇場〉は如何わしさにおいて、それが何であるかを暗黙に語っていた。

「覗き部屋っていうの。アムステルダム名物の飾り窓の女に似たようなものよ。でもなにも心配することないわ」そうシュザンヌは耳もとで囁いて、抵抗を感じてむずかるイヴリーヌの背中を軽く押して中に入っていった。
　鏡張りの部屋の中で、乙女たちは、寛ぎ、しどけない姿で時を過ごしている。ある 時は、人形と戯れる幼女であったり、独りパントマイムを舞う空気の妖精シルフのようであったり、もの思いに耽る女学生であったりして、そこに演技を認めるべくもない。自然に、且つ自由に振る舞っているのだ。仮りにそれが演技であったにしても、それは始まりも終りもなく、途切れることのない演技なのであって、演ずる意識の有無に係わるものではない。
　科学記号のベンゼン環の構造に近いこの覗き部屋は、細胞膜のような仕切りによって、その細胞を四方から取り囲み攻撃するウイ ルス的な視線の侵入を可能にしている。即ちマジックミラーの力によって、少女達側 からは無限に増殖する鏡像空間となり、外側の男達（こちらも檻のような小部屋なのではあるが）からは草原のゼブラに涎を垂らしなが身を隠す叢ともなる、一方通行の理想的な覗き窓となっている。これは、肉食獣の威嚇する眼と対峙する誘惑の砦を構成すると同時に、男達の、透明な、限りなく天使的な願望を満たすのである。
　幾つかある覗き部屋同志は蜂の巣状の連続、あるいは胡桃や海胆の殻の空洞や骨格に似た形状をしている。時計回りに、それは鏡張りの六角形の部屋を中心にして、各頂点から渦巻きながら、腔腸類やイカの嘴のような三角形の小部屋が六つ形成されている。この六つの小部屋の片側には、幾つもの覗き用の小窓が穿たれており、勿論特殊なガラスによって向こうからは見えない仕掛けだ。今一方の壁面、即ち壁面全体が蝶番で展開するドアとなっている箇所は、常に解放状態で、マルセル・デュシャンが住んだラリー街十一番地のドアのように両義的なドアとなっている。この部屋の隅窓に男達は、簗場の捕獲用の罠にかかった鱒のように鼻面を押しつけ、 眼には見えない入り口、否、出口を探し続けるのだ。

　イヴリーヌとシュザンヌが通されたのはそうした一つであった（無論、こうした職業の従事者は相手に対する無関心が鉄則なのだが、案の定、切符もぎの中年女はまったくの無表情だった）。
　「ここでだったら誰にも咎められずに《葉っぱ》が吸えるわ」そう言いながらシュザンヌは、自分のピルケースから取り出した吸い差しのマリファナに火を付けイヴリーヌにも回すのだった。未知の興奮と戦慄がイヴリーヌの火照った体を何処か見知らぬ領域へと一気に押し流すのだった。

　イヴリーヌの部屋の時計（入り口のドアの真上に掛けられたそれは、古いスイス製の時計仕掛けのオルゴールで、ウインナワルツに合わせて鹿追いの絡繰りが飛び出した）が午後一時を告げた。一息ついたイヴリーヌは、一端憩いかけたカウチソファーから立上がり、飲み物を取りに部屋の隅の調理場へと向かった。久々にディスコで踊ったせいばかりでなく、妙に体が火照る。気温もちょっと高いようだ。覚えたてのトロピカルカクテルを手にカウチソファーへと戻り、もとの姿勢でカクテルに口をつけた途端、彼女の脳裏にマルチニック島で過ごしたこの夏のバカンスの思い出が鮮やかに蘇る。

　　　　　　　　＊＊＊ 
　
　太陽の方角が掴めぬ程、強烈な光が世界に隈なく行き渡っていた。エジプト人の切れ長の目のような三角波をたてる渚。緑玉の海と空のトルコ・ブルーのグラデーションが曖昧な辺りを、鴎か、或いは海猫の群れがリモナードの炭酸泡のように爆ぜ飛んでいる。
《きっとあの下には魚、それも鮪並みの大きな魚が居るに違いない》とイヴリーヌは思う。何時か水族館で見た鮫の激しい愛欲の姿を連想し、何か淫らな空想に耽りそうになって目を転じる。丁度、傍らの少年達が揚げた凧の一つが、糸が切れたものか遥か沖の方に吹き流されていくのを目で追っていくと、先程の群れ鳥の方に届きそうに思えて、口の中でもっと右とかもっと左とか呟く。
　「あら、この私有浜辺からカフェのある場所までは大分あるわよ。コテージに戻るの？」とサングラスを額に擡げ、眩しさに片目をつぶりながらシュザンヌが答える。
　「退屈なんだもの。行ってくるわ」と言い残してイヴリーヌは磯伝いに歩き出した。

　《どうしてこんな島に来てしまったのかしら。シュザンヌには済まないけれど、少しも楽しくなんかないわ。あたしが求めているのはこんなバカンスじゃない》彼女のなかにこの旅行とシュザンヌに対するわだかまりが膨らみ始めていたのだ。 　
　マルチニック島をバカンス地に選んだのはシュザンヌのアイデアだった。地中海クラブメンバーの知人から会員券を借りて、高級リゾート地で優雅に一夏を過ごそうという計画であった。しかし、いざ来てみるとまだ時期が早い為か何処か閑散として居り、おまけに見掛ける観光客は皆余生を楽しむ老夫婦ばかりときていた。
　だが、イヴリーヌの不満はそんなことではない。島の黒人達ともっと触れ合いたいと思っているのに、何から何までリードしたがるシュザンヌが片時も自由にしてくれないのだ。彼女は回想の最中であるにも拘らず、その時の憤りが再燃して思わず心の中でこう呟いた《あたしにだって自分のバカンスがあるわ……シュザンヌ、あなたは 何も解ってないのよ！》
　イヴリーヌは大学の現代文学のレポートにエメ・セゼールを選んでいた。セゼールはマルチニックの世界に冠たる黒人詩人だった。イヴリーヌは『太陽、斬られた首』詩集、就中「沈黙の十字軍」の一節をアフリカの黒い神々からの荒々しい啓示のように思い為していた。

　　　　　　　　＊＊＊ 

　そして今巨大な鳥たちは滅び
　動物たちの臓物は
　生贄のナイフの上で黒ずみ
　僧侶たちは辻々で結び合わされた芥の腐植
　土に天からの仕事を植えている
　今や
　黒とは黒ではない黒のこと
　またの名を黒い場所 
　記憶された肉なる火 
　おまえの獣の肉の中で
　一個の石ころが千変万化して
　おまえの体に暗い言葉の水が
　穿った大穴を塞ぐとき
　チンボラーソ火山は
　世界をなおも喰い荒らす

　そしてランボーの「悪い血」と対比しては自らが望んでいるものに確信を得るのだった。それは、己が死の肉体にして言葉なる白人種の〈ノンモ〉から、己が生成の子宮にして宇宙卵なる〈アンマ〉へと転身することを意味していた。
　イヴリーヌは火焔樹の並木に面したカフェテラスで、ペリエのグラスを前にパリに帰ることばかり考えた。セゼールの情熱的な詩だって、ここに来てみると何もかも小綺麗に過ぎて、何処かチグハグな感じがした。
　軽い失望に耽っていると、突然、彼女の目の前に座っていた白人の水夫が通りがかりの島の男と凄まじい殴り合いを始めた。どうやら昼間から酒の入っていた水夫が、男をからかったのが原因らしい。イブリーヌは難を避けるよりも、その余りに堂々たる二人の男の格闘ぶりにすっかり魅了されてしまっていた。水夫の横縞のランニングと、島の黒人の半裸のうねる筋肉が激しく縺れ合って、それはさながらディアボロの回転を思わせた。何時の間にか集まった見物人の人垣がその独楽を回すリングという訳だ。勝負は呆気なくついた。先にジャックナイフを抜いた水夫が男の逆手にとった一撃によって敢え無く倒れ伏したのである。島の男は警官が姿を現すより早くその場を逃走した。
　この一件は、それまでのイヴリーヌの迷いをすっかり忘れさせた。コテージに帰ってからもその興奮は覚めやらず、夕食に出たロブスターの鋏をナイフに見立てて、シュザンヌ相手に繰り返し繰り返し喧嘩の様子を説明し飽きぬのであった。
　だが島でのバカンスは、イヴリーヌの期待する野生の男との出会いも、税官吏ルソーが描くような蛇使女の内側から輝きだす黒い肌をも実現することなく、シュザンヌとの喧嘩別れのみを置き土産として、早々と切り上げられたのであった。シュザンヌの誘惑がその原因であった。

　　　　　　　　＊＊＊

　シュザンヌは、イヴリーヌの叔母のエレーヌによく似ていた。子供の頃、幾度となく見せ付けられた黒い下着姿--------エレーヌ叔母が正式に義理の母となるまで続けられた虚偽の生活を、責めるには余りにも叔母を愛し過ぎていたが、叔母が彼女から何重にも奪い続けてきたことと、シュザンヌ・バルヴィエの計略的な交際術には符合するものがある--------母を欠いた三人での寂しい夕食（少なくともイヴリーヌには）を終えると、エレーヌは昼間の小学校教師の仮面をかなぐり棄て、喪の色彩を逆手にとるかのように黒ずくめの下着に着替えたのだった。
　叔母が、母を失ったばかりの幼い姪と相部屋をしていた理由を、肉親の情以外に求めることはできまい-------だが、謹厳実直そのものの灰色のスカートと、踝までのソックスを横着に片足でずり下げながらする儀式めいた二度目の着替えは、成長期の娘にとって躾と同じほどの教育効果をもたらしたと言ったらそれは穿ち過ぎだろうか--------
　六区のバルザックの館の西側に隣接したイヴリーヌの生家は、切り売りされて今は見る影もない。だが当時はまだ三階までのフロア全体を所有し、空き部屋の数が生活空間を圧倒していた。今でも、時たまこの通りに貸し部屋の広告が出る度、一種の帰巣本能のようなものに駆られて不動産屋と掛け合い、辺りを見て回るイヴリーヌであったが、元の家の出物はまるでなかった。
　ノートルダム・ド・グラース教会を北側に控えたレイノアール通りと、トルコ大使館のあるベルトン通りに挟まれて、イヴリーヌの旧居とバルザックの館を含む数軒ほどの建物が、ハリウッド映画で見掛けるセットのように棟をくっつけあいながら、一列に並んで建っていたのであるが、それ等はさながらウジェーヌ・シューの『パリの秘密』にでも出てきそうな変わった構造を持っていた。それというのも、斜面に建てられたロッジのような塩梅に、それ等の館はレイノアール通り側からは一階、ベルトン通り側からは三階建の構造を有して居り、双方の通りに各々独立した玄関を設けていたからである。晩年のバルザックが編集者や借金取りから逃れたり、ハンスカ夫人のもとに逢引に出掛けたりするために、この二つの通りに跨がった玄関を使い別けていたことは、よく知られている。
 イブリーヌとエレーヌの部屋はレイノアール通り側の平屋と見える東角にあり、バルザックの館のスフィンクスの石彫が据えられた小さな庭を共有していた。バビロンの空中庭園めいたこの庭から眺望するセーヌ川の景観からは、今ではひょろ長い葱みたいなモンパルナスタワーによって、一部損ねられているとは言え、旅の然々にみる田舎風景にも似た、ある種長閑な印象が得られるのであった。独り遊びが習慣だった幼いイブリーヌにとって、歳月によって磨滅し墓石のように黒ずんだ、この庭のベンチに凭れ、とりとめもない空想に耽ることがなにものにも代えがたい楽しみとなっていた。辺りを遮るものとてなく、良く陽の降り注ぐその庭で、日向ぼっこをしながら目をつぶると、瞼の中の視界に闘牛士が翻す真紅のムレータのように一面夕焼けの世界が現れる、そこにリュクサンブール公園の人形劇場で見たお道化者のポリシネールや、それを囃立てる子供たちの黄色い喚声を再現したり、かつて母がしてくれた『少年の魔法の角笛』だのの、ありったけのお話を思い描いては時を過ごすのだった。子供心にたっぷりと感傷に浸ることが成功したときなどは、溢れ出て睫にかかった涙粒に映じる虹の光彩と戯れることもできた。そうした遊びに夢中でいると、たまに暁のスクリーンの前を、何者かが過った時にできる黒い縞状の影が訪れることがあった。それは決まって庭先でうたた寝をしてしまった娘を目敏く見付け、起こさないようにと気をつけながらベッドへと運んでくれる父親の、山羊髭が頬に触れて少しチクチクする感触と、コロンの香りが綯い交ぜになったキスなのであった。
　アフリカ、オセアニア専門の古美術商だった父親は、ベルトン通りに店を構え、往時はヨーロッパ中の美術館に納品を行うまでに 繁盛したが、それも今はない。ともあれ、妻を失い、買付けの旅や忙しい店の切り盛りで娘の教育に手の届かない父親が、亡夫の妹のエレーヌを養育係りとして家に引き入れたからといって、世間は何ら疑わなかったであろう。まして、父親のエドモン・レジェ氏は、齢六十にさしかかろうとしていたのだから。
　「イヴリーヌや、淑女はあんまり外で日光には当たらんものだよ。」レジェ氏は良く口癖のようにこう言った。そして、食堂のマントルピースの上に飾ってある記念写真を見やりながら、こう念をおすのだった「母さんのように、なるべく肌を隠し、楚々としていなければいけない。さもないと、父さんや母さん達と一緒に写っているその黒ん坊みたいな、野蛮人になってしまうよ」。写真の中の母親は日傘をさし、白い麻のワンピースに肘までの手袋を嵌めた姿で微笑んでいた。恰幅のいい父親の、角笛みたいに大きなキャラバッシュパイプを握った手に腕を回し、海岸だか砂漠だかで、車輪を取られて傾いだ少し古い型の車を背に行儀よく二人並んで立っていたのであるが、その回りで幾人もの黒人の人足達が盛んに車輪の下の砂を掻い出している様子も写っていた。レジェ氏がジブチへの買付け旅行に、初めて新妻を同伴したときのスナップであった。その写真の端の方に一人だけ、襤褸とは言え何がしかの服を纏った人足たちとは異なり、局部だけを辛うじて隠し、限りなく全裸に近い黒人の青年が、輝かしい肌の色で矜りかに立っていた。イヴリーヌのまなざしは、父の小言の度に、武器を手にし、明らかに戦士の化粧をした、この男のもとに注がれるのであった。 

　　　　　　　＊＊＊

　シュザンヌと一緒に撮ったバカンス地での記念写真は、現像せずに、まだ全部フィルムの中にある。パリに帰ってから、一度だけ、モントルイユの蚤の市に一緒に出掛けたが、却って二人の間の溝が深まっただけだった。どうしてもシュザンヌを憎めなかったが、生理的に同性愛を受け入れることは儘ならない。父親の形見の蛇腹の付いたローライフレックスカメラがレンズキャップもされずに、ライティングデスクの上で空しく宙を仰いでいる。《またシュザンヌのことばかり思ってる！》いつもの癖で、取り止めもない考えに取り憑かれそうになって、イヴリーヌは自分の思いつきを記憶から無理にひきはがす＿＿＿＿《これじゃまるで冷め掛けのヴィヤベースじゃない！》。
　イヴリーヌは今では自分自身の習慣となっている叔母の仕種でより完璧な儀式を執り行なう。--------叔母は洗濯のよく行き届いた黒絹のストッキングを、優美に引き締まった脹脛（叔母は肥り肉だったが唯一ここだけは細っそりしていた）に添ってたくしあげ、一寸放心したような表情を浮かべながら靴下留めに繋ぎ、それ以外の下着は一切着けずに喪服のワンピースを被り、いそいそと階下のレジェ氏の寝室へと出掛けるのだった。イヴリーヌの母親が亡くなるずっと前から二人は関係を続けていたが、イヴリーヌは少女特有の直感力でそれを感づいていた。父親の寝室で何かの秘め事が行われているに違いない、がそれは自分にだけは禁じられた何かだ。そうした晩に、イヴリーヌは必ずといっていい程同じ夢を見た。
--------乳白色の河の流れに沿って泳いでいくと、突如、大きな肌色の島が現れる。何かに追われているような気がして喘ぎながら、大慌てでその島に這い上がると、案の定、後方の今泳いできたばかりの波間を、黒い流線形をしたものが、素晴らしい勢いで追いかけてくる。よく見ると、それは黒耀石のように輝く鱗を持った、脹脛にそっくりの魚だ。背びれとも角とも取れる位置に、銀色の擬宝珠のような冠を戴いている。そして、イヴリーヌのもとまで追い着くと、まだ河に浸っている彼女の足指に、盛んに喰らいつくのだ＿＿＿＿この夢を見るたび、何故か泣きながら目覚めるのが常だった。そこに出てくる黒い魚に魘る恐怖からではなく、その先どうしてよいかさっぱり見当がつかず、身も世もない不安と索漠たる期待の念に、胸を押しひがれるからだった。爾来、この何かを待つ思いと、黒い意匠で身辺を飾る習慣が育まれていった。 

　　　　　　　　＊＊＊

　今、イヴリーヌは、彼女の部屋の壁面一杯を飾るネグロ彫刻に思いを凝らしている。 「おまえを愛している。おまえを愛している」とナジャがイースター島の小像を見て幻聴したように、イヴリーヌも父の店の夥しい数のネグロ彫刻の仮面から同様のメッセージを受けていた。否、それは単なる父の形見に対する愛着に過ぎなかったのかも知れないが、遺産分けの際に売り立てを主張したエレーヌ叔母の助言をいれず、手許に敢えて残した品々だった。そして、それを基に自分でも徐々にコレクションを増やしていた。
　彼女の部屋に所狭しと並べ立てられたネグロ彫刻の中でも、彼女の一番のお気に入りは、モントルイユの蚤の市で手に入れた男女両性を象った細長い顔の裸身像だ。それは衣裳戸棚（彼女の最も神聖な場所）を守っている。蝶の羽みたいに開け放つことができる衣裳戸棚の扉、その扉一杯に嵌め込まれた姿見は、カウチソファーで微睡みかけているイヴリーヌのしどけない下着姿を忠実に映しとっている。もしここにプロのカメラマンがいて、イヴリーヌの姿を余すところなく撮影したとしても、恐らくこの姿見以上に優れた構図とアングルを得ることは不可能であったろう。それをするには、衣裳戸棚を退けるか、一旦、窓の外に出て姿見そのものを焦点とせねばなるまい。
　姿見は彼女の抜けるように白い足裏を捕えている。そして、それとは対照的に焼かれた肌の流麗な四肢、キャミソールに包まれた、今にも弾けんばかりの血入腸詰を思わせる腹部、その上に揺らめく張りのいい乳房、一文字に結ばれた珊瑚色の唇、コケットリーな印象のする少し跳ね上がった鼻、くっきりと引かれた眉の下で輝く薄緑色の瞳、わらわら煙るブロンドの髪（これだけは好みに反して染めることはしなかった。子供の時分から、よくウエーブするしなやかなブロンドヘヤは彼女の自慢の種だったから）を恰もマンテーニャが得意とした遠近構図で俯瞰していた。背景には天蓋付きの寝台、パズズと思しき魔神の小像、そして、普通なら屋根裏部屋ともいうべき最上階の部屋としては例外的な、高い天井まで届く鎧戸の付いた窓がある。中庭に面した裏窓ではあるが、ここより高い位置に他の部屋は無く、迫った隣棟のマンサール屋根に挟まれた煙突の群れが、大理石のバルコニーのようにも見える。外は耿々と冴え渡る月の光が支配していた。

　彼女は夢見るように思い出す。月の顔を持った、衣裳箪笥上のネグロ彫刻を買った経緯を。それは、雌雄合体の両性具有を現わし、イヴリーヌが所蔵する他のネグロ彫刻の中でも、取り分け奇妙なシンボルを帯びていた。
　 --------《あの露店の民芸品売りの黒ん坊ったら、素敵な目をしていたわ。シュザン ヌに言ったら、気色悪いってすげない返辞だったけれど、あの目はきっと、地平線を何処までも見通すとびきり純粋な種族の目に違いない。金環食みたいに燿く瞳、明らかに駝鳥の羽飾りや羚羊の角で戦化粧を凝らす戦士のまなざしを秘めているのよ。わたしが「変った形の立像ねっ」て値段を聞くなり、彼ったら急に何を思ったのか、葉巻みたいに太い指を影絵遊びのように複雑に組み合わせて、象牙色の歯を見せてニヤッと笑ったわ。意地悪なシュザンヌ、「どうせ安物よ！それに、こいつらマルセイユから歩きでてくてくパリまでやって来た食い詰め者のアフリカ人に決まってる。卑猥な仕種だわ」だなんて、その場から無理にわたしを引き離そうとしたけど、わたしはそうは思わなかった。きっと何かのお呪いをわたしに教えたかったのね、百フランはちょっと多すぎたかもしれないけれど、彼ったら別段嬉しそうな顔もしないで自分でお尻の下に敷いていた、皺だらけの新聞紙で無造作にその像をくるんだなり手渡したわ。何かを依頼するように上目でわたしを見詰め、力強く包みを押しつけて。何故かしら胸がドキドキした。シュザンヌ、あなたの言い種ったらおかしいわ「イヴリーヌ、あんたって、大学に行ってるくせして大バカよ！それに黒ん坊なんかに色目使って、あんたの趣味にはついていけないわ。お別れよ」って、民芸品に夢中だからって、たかがそんなことで嫉妬するなんて変よ！でもあんなに仲良しだったシュザンヌともそれっきり………》
　 
　今までずっと、断続的にではあるが軽快に続いていたタムタムの練習音が、今度は重々しいボンゴの響きに変えられた。今夜のパリは珍しく蒸し暑い。イヴリーヌは次第に眠気を催してきたようだ。姿見の構図が大きく変る。顔に擡げて、伸びをした両腕の付け根から、薄っすらと湿り気を帯びた金褐色の脇毛が覘いている。シュザンヌと別れてからというもの、イヴリーヌは何となく、自分を誰かが物陰から窺っているような気がしていた。それはまるで、スパイか探偵のようにさり気なく、 ある時は大学の外国人学生の姿で、またある時は終電間近の駅の清掃員や破落戸の姿をして。
　--------今夜も、確かに彼女は或る者に後を尾行されていた。薄暗いスポットライトに照らされた、紛い物の大理石像の立ち並ぶ地下鉄ルーブル駅で。

　乗客の居ないホームで終電を待っていると、トンネルの闇の中から数人の線路点検夫が闇そのものを背負いだすかのように黒い大きなゴミ袋を背負いこみ、泥海を抜け出すような足取りで出てきた。内二人は、明らかにアラブ人と判る品の悪そうな男で、残る三人は黒人であった。黒人の中でも飛び抜けて背の高い男が、イヴリーヌ目掛けて鋭い一瞥を投げ掛けてくる。
　サバンナでよく見掛ける蟻塚の穴、或いは木の虚みたいに暗い、但し何者にも屈することのない、倨傲を宿した目だ。軽い近眼のイヴリーヌは、興味深いものを見る時のいつもの癖で、プラットホームの裾ぎりぎりの所で立ち止まり、繁々とその黒人達を観察し続けた。庇が無ければ囚人用と見間違えそうな帽子、空色の所々汚れた作業衣（これはお仕着せ）、そして槍のように先の尖った、ゴミをつついて取上げる為のステッキ、ルーブル駅の王家の谷の地下墳墓めかした造りと間接照明の中にあって、彼等の黒い皮膚は薄闇と溶け合って服だけが動いているようにさえ見える。《まるで墓堀り人か、ミイラ造りの助手みたいだわ》、イヴリーヌはそう思い、まったく無防備に様子を窺い続けた。
　一方、それまで黙々と線路内に落ちた煙草の吸い殻を拾い集めていたアラブ人の内の一人が、黒人達に見蕩れているイヴリーヌに気付き、汚い髭だらけの顔にニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、イヴリーヌの立っているホームの真下までやって来、腿までの、短いスカートを覗き込むような姿勢で声を懸けた。 
　「お嬢さん！いくら待っても電車は来ねぇよ！もう終電は行っちまった。…………ここに泊まるってんなら、お相手しねぇでもないが、こんな黒ん坊なんかに目をつけても駄目だぜ。こいつら皆んな、こないだ密入国してきたばかりの新参者で、フランス語さえろくに話せねぇ」鼻の詰まった声で酷い訛りだ。アラブ人の話を最後まで聞かずに、イヴリーヌは地下鉄の出口へと小走りに向う。彼女の後方から、単唾を吐く音に続いて低い耳障りな含み笑いが迫ってくる。出口へと通じる階段の前まで来た時、彼女は初めて後ろを振り向き、様子を窺った。すると先程の背の高い黒ん坊が、今まさにホームへと這い上がり、樹上のピューマのように四つん這いの姿勢で、彼女を追って来ようとするのが見える。イヴリーヌは背筋に電撃を受けたかのような戦慄を覚えた、と同時にあの子供の頃の悪夢にも似た、どっちつかずの恐怖とも期待ともつかぬ思いに身が竦んだ。四肢を引き裂かれんばかりの逡巡に呪縛され、階段の中途で蹲っていると、黒ん坊が追い縋ってきた。あっと言う間の速さにも係わらず、息ひ とつ弾ませていない。そして、イヴリーヌの前に立ちはだかるや、極めて唐突にあの露店の民芸品売りがして見せた恰好で掌を組み合わせ、意味ありげな笑みをうかべたなり、くるりと踵を返して去っていった。それ以上何事もなかったが、異常な興奮から回復するには、タクシーに乗り自分のアパルトマンの戸口に着くまでかかった。

　好々爺然とした初老のタクシー運転手は、飴玉を頬張った口で、釣銭を返しながら言った「近頃、物盗り以外の目的で若い娘の部屋に忍び込む悪漢が増えてるそうだ。戸締まりには気をつけるんだね」。

　　　　　　　　＊＊＊


　自分の部屋に辿り着いて、イヴリーヌはやっと昼間した買い物のことを思い出す程の余裕が得られた。部屋に入ってまず衣裳箪笥へと飛んでいき、汗を含んだカシュクールを脱ぎ捨ててから、半裸の儘の姿でゆっくりと明日大学へ着てい行く服を選んだ。それから買ったばかりのキャミソールを試着してみたのだった。

　時計が午前一時半の時を打つ。イヴリーヌはまだ完全な眠りには達していない。とぎれとぎれの思念が沸上っては消えていく。《ドアにしっかり鍵をかけなくっちゃだめよ…………それにしても》とイヴリーヌは思う《あの黒ん坊のして見せたポーズにはどんな意味があるのかしら…………何処かで見たような気もする…………》。薄れる意識の間を縫うように、様々なイメージが浮かぶ。
　衣裳箪笥を守るエルマフロディットの裸身像が練りチョコレートのように溶解している。丁度、股間の陽物が滴り落ち、双の乳房の部位が蝋涙のようにずり下がってきているのが、イヴリーヌの視野に入る。
　折りから、フランス窓一杯に差し込んできた月光が、窓辺の魔神パズズ（今や、その正体はそれ以外のなにものでもありえない）を照らし出し、揺らめく炎の影となって部屋全体に引き伸ばされた。揆を一にするかのように、それまで低く呻きをあげていたボンゴの連打が、極に達したかの如く乱れ打ちを始めた。既に、完全に形を失ったかに見えていたエルマフロディットは、影の使者パズズの祐けを受けて、再び黒ゴムの様に造型を始めた。イヴリーヌはその異様さにつられて身を起こし、衣裳戸棚に近寄ったが、それはいつの間にか背の高い屈強な男の姿に変貌している。イヴリーヌは驚嘆するより先に、自らその怪物の腕に飛び込んでいた。そして、憑かれたような口調でその怪物に語りかけるのだった。「ずっと、ずっと待っていたわ！　あなたが 何者かは、ちゃんとわかっているの。口にしてはならないあなたの名前も。名前はいつでも対象を超えてしまうわ、わたしが住む世界では、言葉はそれ自体天使なの。自分だけの力では生きられないから、わたしたちの体、否、意思さえも借り続けるのよ」。怪物は何も答えなかった。それにそいつは実に目まぐるしく変転するイリュージョンそのものの権化といってもよく、さながら濃度の濃い液体に封じ込められた空気の泡のように、徐々に形を変えていくのに忙しいといった様子だった。怪物の股間（それはイヴリーヌの胸よりも高い位置にある）から熱く波打つ陽物のような隆起が生じ はじめ、鯉のように口髭を持った魚へと造型を始めた。付け根から楔のように密集した陰毛が、全身へと伸び広がっていく。怪物は六面獣身でＧ・Ｂ・デッラ・ポルタやCh・ル・ブランの観相学図みたいに、獅子、羚羊、禿鷲、少女、男、老婆、と各々位置を変え、流れる川面に映じた鏡像のように揺らめきながら、行きつ戻りつしている。次第にそれらが渾然一体となっていく。
　イヴリーヌはもう何も喋らなかった。ただその怪物の巨大な猛禽類の足できつく戒められるだけで陶酔を覚えるのであった。それに、怪物の口ではなく、どうやらボンゴの響きにこそ語が含まれているらしいことが解ってきたから。それはこう語ってい た。 

　「オマエ…ハ、ウケザラ、デハ…ナイ、オマエ…ノ…ナカニ、オマエ…ヲ、ツクッテ…ハ…イケナイ。オマエ…ノ…ナカカラ、デテモ…イケナイ。」

　「じゃあ、愛は、わたしの中で充満する愛をどう現せばいいの。わたしはあなたを激しい期待で呼び寄せ、いまこそ、その使命を露にしようとしているのに！　」 

　イヴリーヌは口ではなく、体の総ての器官を使って語った。怪物はイヴリーヌのこの抵抗の語りを許さず、戒めをもって応えた。

　「デテハ…イケナイ。シンゾウ…ノ…ヨウニ、タダ…、ジュンカン…サセヨ。」 怪物は一層明瞭に語り始めるのだった。「輝カシイ栄光ノ御世ニ、我ラハ地ニ降ッタ。地ニハ灰ガ満チ、我ラノ他ニ何者モ無カッタ。ソコデ我ラハ、我ラノ内、一人ヲ地ノ上ヲ覆ウモノト見做シ、ソノ体ヲコトゴトク分チ、地ニ振リ撒イタノダ。ソレ故、星ノ兆デ測ラレル時ノ周期デ、我ラハソノ我ラノ眷族ト、交ラネバナラヌ。」

　語る内、怪物は何時の間にか、勇壮なネグロの戦士の姿になっていた。頭上に羚羊の角を思わせる冠を戴いている。が、それも一瞬の姿に過ぎない。またゆるゆると変身し始める。ある瞬間には、それはエドモン・レジェ氏の顔となり、白い山羊髭を蓄えたかと思えば、エレーヌ叔母のグラマラスな体となり、醜い形容不能な姿へと変じつつあった。そして最後に、鯉の陽物の陰毛の叢のただなかに、誰あろうシュザンヌの恨めしげな顔が浮かび上った。鯉の口の部分から、イヴリーヌ目掛けて、タールのように真っ黒な体液が夥しく撒き散らされ、イヴリーヌの身体を隅なくネグロに染め上げていく。それからシュザンヌの顔の怪物は、傍らのライティングデスク上のリンホフ製カメラを取り上げ、イヴリーヌの乳房が捩じくれんほどに押しつけた。 

　　　　　　　　＊＊＊

　強い痛みと共にイヴリーヌは目覚めた。カウチソファーから転げ落ちたらしく、床の上に身を投げ出している。痛みの原因を成していたのは、何かの弾みで落ちて外れたカメラのレンズであった。そればかりではない、どうした訳か壁を飾っていた筈のネグロ彫刻が皆、乱暴に打ち倒れされている。

　ふと、異様な気配に気ずき、部屋の入り口の方に首を巡らすと、ドアが完全に開け放たれており、先程メトロで遭遇した長身の黒人青年が、今にも内部に侵入して来ようとしている。目が、イヴリーヌの生家のマントルピースの上にあった、父母の記念写真の中の黒人戦士のように、不思議な光を帯びて輝いている。ナイフを手に持ち、 狩りに赴くときの出で立ちだ。 
　イヴリーヌはこれも夢の如く思われ、自ら進んでネグロの腕に抱かれにいった。</span></span></span></span></span> ]]>
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		<dc:date>2022-10-17T23:12:43+09:00</dc:date>
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		<title>「我が流離い。（げんそう）」</title>

		<description>「我が流離い。（げんそう）」

　　　…</description>
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			<![CDATA[ <span style="font-size:x-large;">「我が流離い。（げんそう）」

　　　　　　　　　　　アルチュール・ランボー（田中章滋・訳）

俺は破けたポケットに、拳を突っ込んで家出した

俺の外套は、御誂え向きさ

俺の空はミューズの下！そして俺はあんたの忠実な下僕だった

おやおや！俺はそこここに！素晴らしい夢見てたんだ！


俺の着晒しのズボンには、大きな穴が空いていた。

俺は夢見る親指小僧、道すがらー

韻を踏んだのさ。俺の寝ぐらは、大熊座ー

大空で俺の星たちは、さらさらした音色だった。


そして、俺は道端に座って、それを聴いたのさ、

俺は９月の心地いい宵が、

俺の額に滴るのを感じていた、気付けワインの雫みたいに


俺はそこで、幻想的な影のなか、韻律を、

まるで竪琴を弾くそぶり、俺の襤褸靴の紐を引っ張って、

片足を俺の胸に引き寄せていたのさ！</span>

　　　　　　<img src="https://wox.cc/user/atelierzephyros/o/1280x720.jpg" alt="ランボー" class="pict" /> ]]>
		</content:encoded>
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		<dc:date>2022-10-12T23:30:23+09:00</dc:date>
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		<title>★夢占師</title>

		<description>「夢占師」　　　　源　章　　　　　　 
…</description>
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			<![CDATA[ 「<span style="font-size:large;">夢占師」　　　　源　章　　　　　　 

　　人には前世があると言わないと、未来も見通せない。そう占師は言う。
　だから「誰でも前世がある」とか「それは夢判断で判る」という。では、
　一つ占ってもらおうとカルマ・赤猫なる占師のもとへ行ってみた。

　「何だか何時も凄まじい圧力で押し潰される悪夢をよく見ます」
　普段の行いが悪いのでしょうか？それとも寝相が悪いのでしょうか？
　夢の中 では全くの盲目で、何も見えないんです」と私。

　「はい、あなたの前世は三葉虫です」と占師。

　「ええっ？間違っちゃいないけど、そんなこと言ったら、全人類、大元は
　皆アノマノカリスじゃないですか!」

　「当たるも八卦、当たらぬも八卦、ゴキブリじゃないだけましです」と夢占師。</span>

　<img src="https://wox.cc/user/atelierzephyros/o/EfLakgTUEAEGppg.jpg" alt="アルフレート・クビーン3" class="pict" />
　　　挿絵：アルフレート・クビーン ]]>
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		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2022-09-27T16:15:01+09:00</dc:date>
		<dc:creator></dc:creator>
		<dc:publisher>WOX</dc:publisher>
	</item>
	<item rdf:about="https://shojitanaka.web.wox.cc/novel/entry53.html">
		<link>https://shojitanaka.web.wox.cc/novel/entry53.html</link>
		
				
		<title>★雲の劇場</title>

		<description>「雲の劇場」“Théâtre de nuages”　源　章…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ <span style="font-size:large;">「雲の劇場」“Théâtre de nuages”　源　章

　『ズボンを穿いた雲』で一躍名を馳せた詩人マヤコフスキーは、セーヌ河に身投げししようとして果たせず、軈て己に弾丸を撃ち込んで死んだ。なんで死に癖がついたのかと思ったか、私はマヤコフスキーの詩集を一冊しか読んでいないので、大方失恋でもしたんだろう、としか想像しない。今の私の歳から思えば、絶望だ身投げだ、自死だのは、世渡り下手や、若造のする事だと思うだけ。私は失恋なんかしない。私がフッた女は星の数程居るが、フラれたことなど一度もない。

　如何なるにしても、私は自殺を否定する。だから健康そのものの私が死ぬとしたら、人に殺されるか、事故位のもんだろう。用心深い私は昔から、逃げるのが得意だった。脱出王フーディ二も顔負けさ。戦場や収容所だって脱走してのけた程だ。そして、秘密が多い私は隠れ家には鉄壁の防犯を求めてきた。今だって番人が常駐するこの監視塔つきの『鷹ノ巣マンション』に住んでいる。ここは嘗ての地下ミサイル発射台を基礎にしているので、有事にはマンションごと地下に格納さセーヌ河に身投げして死んだ。なんで死のうなどと思ったか、私はマヤコフスキーの詩集を一冊しか読んでいないので、大方失恋でもしたのだろうと位しか、想像出来ない。今の私の歳から思えば、絶望だの身投げだのは、世渡り下手や、若造のする事だと思うだけ。私は失恋なんかしない。私がフッた女は星の数程居るが、フラれたことなど一度もない。
　
　私は自殺も決してしない。だから健康そのものの私が死ぬとしたら、人に殺されるか、事故位のもんだろう。用心深い私は昔から、逃げるのが得意だった。脱出王フーディ二も顔負けさ。戦場や収容所だって脱走してのけた程だ。そして、秘密が多い私は隠れ家には鉄壁の防犯を求めてきた。今だって番人が常駐するこの監視塔つきの『鷹ノ巣マンション』に住んでいる。ここは嘗ての地下ミサイル発射台を基礎にしているので、有事にはマンションごと地下に格納される。政府要人だの、そのお妾さんばかりが住んでいる摩天楼だ。私は頗る人気者なので、普段、暇を持て余しているそのお妾さん達が、片時も私を抛って置かない。

　それにしても、この高層の『鷹ノ巣マンション』のペントハウスは最高の見晴らしで、風のと塔と呼びたい位、東西南北よく風が吹く。お陰で様々な色光に彩られた雲が雄渾に現れる。東風はいつも泣き出しそうな雲。西風は千切れ雲ばかり、私のように浮気者だ。南風は嵐を伴う帆船を引き連れて、天高くキャンバスを巻き上げる私の大好きな、白い白い雲。北風は老人だ。ただただ灰色な蛇のように狡猾な雲だが、今の私のように足が萎えて居るので、大目に見よう。

　雲の画家と呼ばれた私にとって、ここは最高の現場、兼、アトリエ、兼、安息所という事になる。部屋は空と同化する程のスカイブルーのタイルが張り詰められてている。雲ひとつない快晴でも、私の頭の中では、いつも無数の雲が浮かんでいる。

　ようし、次は1000号の大作を描いてやる！嗚呼、製作意欲が漲る！

　「所長！零号室のあの爺さんが、また、バスタブ一杯に歯磨き粉を捻り出して下水管を詰まらせました！おまけに本人自身もベトベトで、部屋中ひどい有様です。爺さん、毎日問題を起こすんで、看護女子職員が音を上げてます！どういたしましょう？」

　「仕方あるまい。本人が画家だと言い張るんだ。安全を考慮して、家族が絵具の代わりにチューブ歯磨きを山ほど差し入れてるんだし。以後与えるチューブは12本だけに。さもないと暴れて手がつけられんからな。患者に自傷行為がないのが幸いだ。狭い風呂場に閉じ込められる。しかし、家族は大金持ち。我が病院の大事な後援者だ。下水管は高圧放水で対処してみなさい。猿の檻じゃないが、爺さんも一緒に浴室ごと洗浄したまえ。」

　「くそう、面倒ばかり・・・。爺ぃめ！歯磨き粉を喉に詰まらせて、早くくたばってくれねぇかな…。」</span>

　　　　<img src="https://wox.cc/user/atelierzephyros/o/dsc03989.jpg" alt="コンスタブル" class="pict" />
　　　　　　　ジョン・コンスタブル《雲の習作》1822年、油彩／厚紙に貼った紙、47.6×57.5cm、テート美術館蔵 ]]>
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		<dc:date>2022-09-20T16:56:59+09:00</dc:date>
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		<title>千と一個のボタン物語/ピエール・フェラン</title>

		<description>「千と一個のボタン物語 」 　　　　　　…</description>
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			<![CDATA[ <span style="font-size:large;"></span><span style="font-size:large;">「千と一個のボタン物語 」 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 
                                    　　　  　　　　　　　　　ピエール・フェラン/田中章滋・訳 

　警察所長はすべてを見た 
広い部屋に入ると 
そこには数知れぬほどあった、種類別にビンに入れられ 
棚に並んでいた 

　真珠母のもの、角でつくられたもの、木で出来たもの、 
四角や丸や楕円形 
コルセット用、海賊用とか 
貞淑な身体用または通行用、 
チョッキ用と下履き用・・・ 

　扉用のもの、呼び鈴用のもの 
すなわちシャンソンを繰り返し聴くためのもの 

　またはソムリエを呼ぶためのもの 
よりどりみどり大きなカフス用 
熱病的なもの、むしろ気難かしげなもの用 
そして華麗な薔薇のもの。 

　小さい長靴用には、小さな黒いの、 
海の錨のついたもの 
闘牛士のための銀製のもの 
壺の中の、こいつは金でできている！ 

・・・・人々は警察所長をつれてきた 
コレクターの死体のそばに 

　誰もそいつに好意を示したことなどなかった！ 
その死人にはポッカリと巨大なボタン穴が開けられていた。
</span> ]]>
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		<dc:date>2022-09-19T18:19:31+09:00</dc:date>
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		<title>★ホムンクルス</title>

		<description>　　『ホムンクルス』　　　　　　　　源…</description>
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			<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　　『ホムンクルス』　　　　　　　　源　章

　おれは図体がでかかった。それで、態度も横柄だと言われた。寝る子は育つというが、寒い地方の出だったので、早寝早起きで、のっぽになっただけだったのに。うどの大木だなんて、奴は言ったが、奴はとびきり小さい身体だったのだ。侏儒というほどでもないが。おれと奴は始め仲が悪かった。しかし、馬が合って程なく打ち解けた。お互い見かけと中身が正反対だったのだね。肝胆相照らしたという訳さ。

　おれは見かけ倒しの蚤の心臓。奴は太っ肚。大酒呑みだったので、特に肝臓が強かった。腹を捌いた者はきっと驚いたことだろう。奴の身体の半分以上が肝臓だったのだから。

　今もおれと奴はいいコンビだ。驚異博物館の、ホルマリン漬けの、ガラス容器の中で。おれのラベルには『豆心臓』、奴のラベルには『巨人の肝臓』と記してある。<span style="font-size:large;"></span></span>

　　　<img src="https://wox.cc/user/atelierzephyros/o/f0163691_1553455.jpg" alt="ホムンクルス" class="pict" /> ]]>
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		<dc:date>2022-09-19T00:43:34+09:00</dc:date>
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		<title>☆露出症者</title>

		<description>　　　『露出症者』 　　　　　　　　　　…</description>
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			<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　　　『露出症者』 　　　　　　　　　　　　田中章滋

　絵描きが未完成画を見せるのは露出症である。

　昔、池袋のびっくりガードから東口に抜ける階段で、本物の露出症者と出会ったことがある。それは如何にもそういう嗜好を持ちそうな、むくつけき男ではなくて、若く、ちょっと陰のある綺麗な男であった。深夜ではあったが、オレンジ色の街灯で煌々と照らされ、春めいたベージュのコートを階段を登り切った場所に弧を描いて広げ、仰向けで桃色の全裸の姿。マンテーニャの「死せるキリスト」の逆遠近法のポーズで横たわっていたのだった。

　彼には済まないが、私は絵描きなので、人のヌードには慣れ切っている。そこがびっくりガードでも、決してびっくりなどしない。暫し立ち止まって、観察した。相手は薄目を開けてこちらを窺っていたようだが、敢えて彼の頭の方へ回りこんで私の姿を見えなくし、どこまで私の視線に耐えられるか試してやれ、と佇んでみた。

　五分以上彼はまんじりともしなかった。よく耐えたものだ。オレンジ色の街灯照明も抜群、階段下からは死角となって、登って来る途中、彼の存在は全く予想されない。当時芝居にも手を出していた私は、実に周到な演出だね、と軽犯罪にも拘らず感心したものだった。

　深夜で人通りなどなかったが、階段の底の方に人影がちらっと見えた。ここに居続けると私も誤解されかねない。真後ろの通りの方へ踵を返し、早足に去る背後から「きゃっ！」と若かろう女性の声が追いかけて来た。頭のなかで、何故か「窃視症者」なる言葉が渦巻いて、私は決して後ろは振り向かなかった。</span>

　　　　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://wox.cc/user/atelierzephyros/o/f0163691_632543.jpg" alt="春の嵐" class="pict" />

　　　　　　　　　　　『春の嵐』（木製パネルにテンペラ＋油彩）＜2014.4.20現在／未完成＞ ]]>
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		<dc:date>2022-09-18T23:57:40+09:00</dc:date>
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		<title>☆愛しきヘタクソ、でもグレート</title>

		<description>「愛しきヘタクソ、でもグレート」　　　…</description>
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			<![CDATA[ <span style="font-size:large;">「愛しきヘタクソ、でもグレート」　　　　2015-02-11 田中章滋 識

<img src="https://wox.cc/user/atelierzephyros/o/f0163691_943575.jpg" alt="アノニム" class="pict" />

Anonymous Valencian Artist
The Crucifixion
ca. 1450-1460
Oil on panel.
44.8 x 34 cm
Museo Thyssen-Bornemisza, Madrid

　幾ら死人に口なしだからとて、大昔の人だからとて、人様の絵を平然と＜ヘタクソ＞呼ばわりするのは、それが偏愛の対象足りうるからだ。先ずそう言い訳をしておいて、この、泥棒だの、反逆者だの、神様の息子だのの受難を描いた一場の絵のことを語ろう。

　何年か前、マドリードのティッセン・ボルネミッサ美術館 Museo Thyssen-Bornemiszaで見た絵なのだが、並みいる錚々たる巨匠画に混じって、一緒にしていいのかい！という位に堂々と掲げられたこの絵を発見し、何度も何度も「ううむ、下手糞」、「なんだこのゴリゴリした感じ」、果ては「なんだろ？この穢い山賊ども！」とまで文句を呟きつつ、どうしても気になって気になって、仕方ない。他の部屋のいい絵を見ては胸が空くのに、態々この絵に立ち戻っては、反吐が出る。凡そ私の審美眼から大きく出外れた絵で、飲み込もうとする度、咽せて気持ち悪くなる絵、と言ったら言い過ぎか。

　それでも唾棄せず、気になる理由をその絵の鑑賞に15分程かけて、その時、具に検分してみた。先ず私の関心を惹き付けて止まぬのが、黴びた蜜柑のように罅割れた、歪（いびつ）な大きな太陽である。

　歪んで奇妙なのは、西に傾いた太陽だけでない。荒寥とした山やエルサレムの街（どう見ても墓場そのもの）も、人も、犬も、何もかも。見れば見るほど形が取れて居るようで、どうしようもなく陳（ひね）こびている。デッサンが狂いまくって、最早収拾がつかぬ程に美観を損ねているのだ。なのに部分部分を見て行くと、ちゃんと写実的に描けていて、指の表現など勢いのある筆触で、感心もさせられる。だが、たどたどしく感じるのは、絵描きならばそっちには絶対行っちゃいけないよ！と思えるバランスの狂い。そこに完璧な程嵌っているのだ。ある意味凄いよ、百発百中の狂ったバランス！

　そして一見気にならないようで、最も甚だしいのは右端に高く磔された罪人で、通常の遠近感覚で見ても、とんでもない巨人なのである。中央から三対あるT字型の十字架の配置を見ても、やや高い位置から見下ろす一点透視図法なので、右端の十字架が、少しも手前に存在してはいないと判ぜられる。であるからして、この人物が手を大きく広げてぶら下がっていても、こんなに大きくなる筈がない。彼だけ特に大きいのは異様である。十字架上の人物達は下の群衆よりやや大きく、さらに左から右へと更に大きくなっていく。図像学では、神聖な人物を大きく扱うという類例も多いが、何だってナザレのイエスより神を詰（なじ）った盗人の方がデカいのか。訳が分からない。それに、不謹慎かも知れないが、イエスの下着の皺である。まるで股間に指でも差し入れているような、珍妙な皺ではないか。

　そして、ここが最大の問題点、最も魅力的でなければならない筈の個々の人物の顔。それが、度し難く全員不細工なのである。土手南瓜のような頭のヨハネ、鱈子唇のマグダラのマリア、イエスに仇を為す人々だから仕方ないと思いつつ、鼠の化身のような顔や、木の切り株みたいな浅黒い顔、どいつもこいつもグランギニョールにしか見えない。なかでもイエスが最悪だ。水中で死んだ訳でもないのに土左衛門（どざえもん）なのである。

　どうした訳だ、責任者出てこい！と思って解説プレートを初めて見ると、作者不詳。アントネッロ・ダ・メーシーナの影響化にあったバレンシアの画家とある。確かにフランドル絵画の技法を思わせる、当時最先端の油彩画技法に見えるし、後ろ姿の人々は変なポーズもあるが、まあまあ。衣紋の柄や、草花などは、類別出来る程丹念にちゃんと描けている。地面もきっちり地層が分かる程だ。

　こうして、この作者が苦手なのは、徹底的に顔や裸体や人物のプロポーションなのだと結論づけられる。高度な技術を身につけながら、下手上手（へたうま）でもなく、上手下手（うまへた）で、空いた口が塞がらぬ。こんなエグい絵、私には金輪際描けない！よって、最早グレートとしか言いようがない！！

　嗚呼、見れば見る程気持ち悪いバランス。それがどうしようもなく、完成し切っているのだ。

追記：以下は私の妄想的な蛇足である。恐らくこの絵の作者は、なんら歪んだ思想の持ち主でもなければ、当時の宗教画の一般的な約束事以外、何の特殊な作為も持たぬ、極めて真面目な職人タイプの絵描きだろう。この絵のみで、その性格までを読み解く事は出来ない。若し過剰に憶説を語って行くなら、そこに私自身がダブルイメージとなって纏い付くことになる。

　この絵の来歴を巡り、美術館付きの研究者や専門家もあって然るべきだし、そもそも極東の一絵描きに過ぎない私は、バレンシア地方の当時の画派に就いて知る由もない。

　「秘密」は常にそれを欲する者の前にのみ現れる。そこで、私は種明かしをせねばならない。私が何故ここまでこの絵に拘るのか？それはこの絵の全体が薄目で見ると、写真家のジョエル＝ピーター・ウィトキンJoel-Peter Witkinのセルフポートレイトのような髭の男の顔、しかも片目を瞑って舌を出し　、「あかんべー」する図に見えるという事なのである。そうすると、恐るべきアンチクリストの絵に成る。

　こう言ったからとて、私は別段サタニズムの信奉者では決してない。</span> ]]>
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