「空間恐怖」(オロール・ヴァクィ) 田中章滋
夜になるとぼくは至聖寝所(アバトン)を抜け出す
のだった。 鏡の片隅で時間が凍りつき、鉛色の影が眠り
の回廊を塞ぐまえに。街では虚空を行き交う冷たい風が、
糸杉を驚かす馬の嘶きとなって火花を散らし、噴水の下
の石像を震わせた。二つ折りになって濃い影をつくる深
夜の幻燈機、その中で椋鳥が身体を寄せあっている。運
河に沿って撒かれた石灰が、ほの白い舵手となって何処
までも続く地上の航路を描き出していた。朽ち果 てた船
の星の印。 ああ、何と霊的なヴィジョンだろう───
極光の鈍い澱みの中から、家々の尖った屋根が立上がり、
海を渡る甲烏賊の大群のように神秘的な外観を与えてい
た。
ぼくは探していた、ぼくの頭蓋から逃走したミネルヴ
ァを───彼女は女神ナナヤの人形、大理石の斑入りの肌に
真っ赤なルビーの瞳を嵌めていた。バビロニア産の熱病の苗床。
とても握りのいいピストルの、引き金の誘惑が、彼女を
ぼくから奪ったのだった。
それからというもの、ぼくの羅針儀は狂いっぱなしだ。
ぼくはあらゆる土地を愛した。ぼくはあらゆる人を愛し
た───蓋し唯一つのものを除いて。
ぼくは見る、ぼくの舷窓から。さかさまの夜景 ───
岩礁の惨たらしいベッド。胸をはだけ、波の愛撫を受け
る黒天使を。
月が孔雀の羽根を展げ、空一面を埋め尽くしていく。
そこに、髪で覆われた半分の仮面 を発見けて、ぼくは
漠然と彼方を思うのだった。
夜になるとぼくは至聖寝所(アバトン)を抜け出す
のだった。 鏡の片隅で時間が凍りつき、鉛色の影が眠り
の回廊を塞ぐまえに。街では虚空を行き交う冷たい風が、
糸杉を驚かす馬の嘶きとなって火花を散らし、噴水の下
の石像を震わせた。二つ折りになって濃い影をつくる深
夜の幻燈機、その中で椋鳥が身体を寄せあっている。運
河に沿って撒かれた石灰が、ほの白い舵手となって何処
までも続く地上の航路を描き出していた。朽ち果 てた船
の星の印。 ああ、何と霊的なヴィジョンだろう───
極光の鈍い澱みの中から、家々の尖った屋根が立上がり、
海を渡る甲烏賊の大群のように神秘的な外観を与えてい
た。
ぼくは探していた、ぼくの頭蓋から逃走したミネルヴ
ァを───彼女は女神ナナヤの人形、大理石の斑入りの肌に
真っ赤なルビーの瞳を嵌めていた。バビロニア産の熱病の苗床。
とても握りのいいピストルの、引き金の誘惑が、彼女を
ぼくから奪ったのだった。
それからというもの、ぼくの羅針儀は狂いっぱなしだ。
ぼくはあらゆる土地を愛した。ぼくはあらゆる人を愛し
た───蓋し唯一つのものを除いて。
ぼくは見る、ぼくの舷窓から。さかさまの夜景 ───
岩礁の惨たらしいベッド。胸をはだけ、波の愛撫を受け
る黒天使を。
月が孔雀の羽根を展げ、空一面を埋め尽くしていく。
そこに、髪で覆われた半分の仮面 を発見けて、ぼくは
漠然と彼方を思うのだった。
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