『少女』                     田中章滋

 時は大東亜戦争末期であるらしい。そこは曾て進歩的な人士が集まるモダンなカフェーで、半地下都市の馬蹄形の通路の一角に、英国風の張出窓を設えた店構えで客を迎えていた。半地下とはエチオピアのユダヤ教会のように岩場を丸ごと彫り貫いた構造、或いはレオナルド・ダ・ヴィンチの完全都市のように、何処までもカーブする壁が取り巻いていていた。

 その店に出入りする人物はアロハや開襟シャツ、ぴっしりとした三揃い、麻の上下にパナマ帽、杖を持った紳士などなど、実に多様で宛ら上海租界を跋扈する得体の知れぬ男達を
思わせた。無頼、酔漢、無政府主義者、世界市民、トロッキスト、高踏遊民どもの巣窟。だが何故か東洋人が多かった。

 殊に目立つのは赤いアロハの浮かれ男で、こいつが店の常連か店主であるらしい。らしいというのは「ここは何でも自由な店だ。主人なんて者はいない。さぁ楽しもう!」と何度も口にしていたからだ。

 その店に、おかっぱ頭の年の頃15.6の少女がいて、その娘が甲斐がいしく給仕をしている。少女は常に押し黙り、アロハの男がカウンターに入り込んで点てる珈琲やカクテルを卓に運ぶ。客は皆少女を慈しんでいる風情である。

 私は中学生だ。学生服の胸を大きく開け、不良ぶってその店に出入りしているが、目当てはその少女のみ。誰も私の存在を気にする者はなく、虚勢を張る甲斐もないと気付くと、何も注文しないまま図々しく店の隅の席を陣取るようになっていった。私は常に一冊の詩集を携行している。

 中原中也の『ノート1924』。

『恋の後悔』

思想と行為が弾劾し合ひ
知情意の三分法がウソになり
カンテラの灯と酒宴との間に
人の心がさ迷ひます
あゝ恋が形とならない前
その時失恋をしとけばよかつたのです

 時は過ぎ、店に出入りしていた人々は徴兵されたり、官憲に捕まったり、銃殺されたりして、今や半地下都市は荒廃の極み。少女独り、取り残されて着の身着のままで、街を蹌踉と彷徨い歩いている。悲し気だ。だが、同情を寄せようにも、その姿は骨まで透き通りそうで、あまりにも美しい。私は遣る瀬ない思いで彼女の後を身を隠しながら追尾する。

 すると、少女はあの店の中で、空のカップをしきりと私の居た隅の席に運んでいた。<ああ、彼女はとうとう気がふれてしまったのだ>と合点した私は、不憫に思い、卒然と少女の背後から迫って首を攫むや、渾身の力を込めて絞殺してしまったのだった。

 骨の標本のように軽くなった彼女の身体を抱くと、曾てこの店の常連だった連中の亡霊が周囲から一斉に現れどよめきだした。

 そして私もその亡霊の一人だった。

中原中也
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